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サムエル記第一のデボーション

敬うべき神

サウルは言った。「私は困りきっています。ペリシテ人が私を攻めて来るのに、神は私から去っておられます。預言者によっても、夢によっても、もう私に答えてくださらないのです。。。」

サムエルは言った。。。「あなたが【主】の御声に聞き従わ(なかったからだ。」(サムエル記第一28:15、18)

天のお父さん、あなたは私の願いをかなえる単なるジーニーではありません。

あなたは私に操られる神ではありません。

あなたは敬い、従うべき神なのです。

サウルはその真理を決して学びませんでした。 むしろ、彼は自分の耳、さらに心をあなたに閉じてしまったのです。

だから最終的に、あなたは彼に語られなくなったのです。

どうか、私がそのようにならないように。 私がいつも柔らかい心と、あなたに傾いている耳を保つことができるようにしてください。

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サムエル記第一のデボーション

聞こえない耳、見えない目

時々、聖書には、私たちに痛烈な皮肉が示されることがあります。この箇所でも、そのような皮肉を見ることができます。

サムエル記第一3章一節には、こう書かれています。

そのころ、主のことばはまれにしかなく、幻も示されなかった。(サムエル記第一3:1)

これは士師記の時代でした。その時代はどのようなときだったでしょうか。

そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行なっていた。 (士師記21:25)

第一サムエル2章によれば、祭司たちも神様に従わず、勝手に振る舞っていました。だから、神様はイスラエル人に語ることを拒まれました。

そして、3章2節では、私たちは皮肉なことを見ることができます。大祭司エリの目はかすんできて、見えなくなっていました。ところが、エリの霊的な目もかすんで、見えなくなっていたのです。

どうしてでしょうか。なぜなら、エリは神様を敬わなかったからです。むしろ、彼は自分の息子たちを神様よりも敬っていたのです。

エリの息子たちは、神様とイスラエル人に対して故意に罪を犯していたのに、エリは彼らを祭司として退けませんでした。だから、神様ご自身がエリとその息子たちを祭司として退けられました。(2:29-36;3:11-14)

しかし、その一方でサムエルがいました。

この箇所では、もうひとつ皮肉なことが描かれています。盲目のエリが、霊的なことの見方をサムエルに教えたのです。

神様がサムエルを呼ぼうとしておられると理解したとき、エリはこう言いました。

主がおまえを呼ばれたら、『主よ、お話しください。しもべは聞いております』と言いなさい。」(第一サムエル3:9)

そして、主がサムエルのそばに立ち、呼ばれたとき、サムエルはその声を聞き、エリの助言に従ってこう答えました。 「主よ。お話しください。しもべは聞いております。」

主が私たちのそばに立ち、呼ばれるとき、私たちは主に対して目と耳を閉ざしているため、どれほど主がおられることに気づかないでしょうか。

イエス様はこう言われました。

この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、目はつぶっているからである。

それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って立ち返り、わたしにいやされることのないためである。(マタイ13:15)

神様があなたを呼ばれるとき、あなたはどうしますか。エリのように、自分の罪を握り、主の声を聞くことを拒むでしょうか。そうすれば、あなたの霊的な目と耳は不自由になってしまいます。

そうするのではなく、サムエルのように答えましょう。

「主よ。お話しください。しもべは聞いております。」