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詩篇のデボーション

聞かれた

ほむべきかな【主】。
主は私の願いの声を聞かれた。(詩篇28:6)

クリスマスの季節なので、先週の土曜日にルカの福音書にあるゼカリヤの物語を読んでいました。

そしてダビデの言葉を読んだとき、ゼカリヤに語られたガブリエルの言葉を思い出しました

恐れることはありません、ザカリヤ。あなたの願いが聞き入れられたのです。(ルカの福音書1:13)

正直に言うと、神様が私の祈りに聞き届けてくださらないように見えるとき、失望するのは容易なことです。

けれども、神様が思い起こさせてくださいました。

「わたしはあなたの祈りを聞いています。たとえ『ノー』と答える時でも、あなたの願いを確かに聞いています。あなたを無視しているのではありません。あなたを愛しているのです。」

だから、私はダビデと共に歌います。

【主】は私の力、私の盾。
私の心は主に拠り頼み、私は助けられた。

私の心は喜び躍り
私は歌をもって主に感謝しよう。(詩篇26:7)

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ルカの福音書 ルカ1章

救い

ゼカリヤは約9ヶ月間話せない間、どんな気持ちだったでしょうか。おそらく、少しは自分の不信を後悔したことでしょう。

一方で、話せないという印(しるし)は、神様が子供を授ける約束を確実なものとして示してくださいました。そのため、ゼカリヤは自己憐憫に浸ることなく、むしろ喜びを持って毎日を過ごしていたのではないでしょうか。

そして、息子が生まれた際、ゼカリヤの口は開かれ、喜びに満ちた言葉が彼の口からあふれました。彼はこう歌ったのです。

ほめたたえよ。イスラエルの神である主を。主はその民を顧みて、贖いをなし、救いの角を、われらのために、しもべダビデの家に立てられた。

古くから、その聖なる預言者たちの口を通して、主が話してくださったとおりに。(ルカの福音書1:68-70)

彼の歌を通して、私たちは救いの深い意味を知ることができます。

1.その救いは、暗闇と死の陰に座る者たちを照らします。(79)

多くの人々は、罪の暗闇の中で生きています。そのため、死の影が彼らの上に覆いかぶさっています。パウロはこう言いました。

「罪から来る報酬は死です。」(ローマ6:23)

でも、暗闇の陰に座る人に、救いはイエス様を信じる人に赦しを約束します。(77)

2.その救いは私たちの良い行いによるものではありません。むしろ、その救いは神様のあわれみによります。

私たちは永遠の死に値します。それでも、神様は私たちを愛して、イエス様をこの世に送られました。そして、イエス様は私たちの罪のために死んでくださいました。だから今、イエス様を通して、私たちの罪は赦されます。

3.その救いは私たちをサタンの国から救い出します。(71、74)

サタンは私たちを憎み、罪の鎖で縛りました。しかし、神様は私たちを解放してくださいました。

4.その救いは私たちに新しい命を与えます。

私たちはもうサタンの国のために働かず、神様に仕えます。私たちはもう罪に仕えません。その罪深い生活は、恐れ、恥、悲しみ、そして破滅に至りました。

しかし、今では神様が私たちに正義の外套をまとわせてくださいます。そして、日々、私たちはますます「イエス様と同じかたちに姿を変えられて行きます。」(第二コリント3:18)

5.その救いは私たちに平和を与えてくださいます。どんな試練に直面しても、神様の平和を経験します。それは「人のすべての考えにまさる神の平安」です(ピリピ4:7)。なぜなら、私たちには神様との平和があるからです。

どのようにしてその平和を知ることができるでしょうか。こう祈ってください。

イエス様、私は自分が罪人であることを認めます。何度もあなたを傷つけ、また周りの人々を傷つけてしまいました。どうか私を赦してください。

私のために十字架で死んでくださり、私の罰を引き受けてくださったことを感謝します。私に新しいスタートを与えてください。

あなたに従いたいです。そして、ますますあなたのようになりたいです。私を変えてください。そして、あなたの平和を私に与えてください。イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。