パリサイ人たちに神の国について語られた後、イエス様は弟子たちに警告されました。それは、非常に困難な時が訪れるということです。
その時、彼らはイエス様の再臨を切に願い、イエス様が帰られたという噂を聞けば、それを信じてしまうかもしれません。けれども、イエス様はご自身の再臨について、いくつかの重要なことをはっきりと教えられました。
第一に、イエス様が帰って来られるとき、それを誰も見逃すことはできないということです。イエス様はこう言われました。
いなずまが、ひらめいて、天の端から天の端へと輝くように、人の子は、人の子の日には、ちょうどそのようであるからです。(ルカの福音書17:324)
第二に、イエス様は突然現れます。
その日は、普段と変わらない一日として始まります。人々はいつものように、食べたり、飲んだり、結婚したり、買ったり、売ったり、植えたり、建てたりするでしょう。ところが、突如としてイエス様が来られ、裁きが始まるのです。
第三に、義人は死に至る裁きを経験することはありません。イエス様はこう言われました。
ロトがソドムから出て行くと、その日に、火と硫黄が天から降って、すべての人を滅ぼしてしまいました。人の子の現われる日にも、全くそのとおりです。(29-30)
注目してください。ロトがソドムを出て行ったとき、裁きが訪れました。同じように、イエス様が来られるとき、義人が悪者から分けられたあとで、裁きが下ります。
第四のポイントは、イエス様が来られるとき、もしあなたが神様との関係を持っていなければ、あなたは裁かれるということです。あなたの友人や、妻、夫、親族が素晴らしいクリスチャンであったとしても、その関係があなたを救うことはできません。
だから、イエス様はこう言われました。
あなたがたに言うが、その夜、同じ寝台でふたりの人が寝ていると、ひとりは取られ、他のひとりは残されます。
女がふたりいっしょに臼をひいていると、ひとりは取られ、他のひとりは残されます。(34-35)
最後のポイントは、裁きが確実であるということです。イエス様はこの教えを次の言葉で締めくくられました。
死体のある所、そこに、はげたかも集まります。(37)
死体があれば、はげたかが集まるのは確かです。同じように、霊的に死んだ者がいれば、裁きが下るのは確実です。
だから、あなたは自分自身に問いかけなければなりません。あなたは準備ができていますか。あなたの心は整っていますか。あなたはこの世のものに執着していますか。それとも、神様を愛しているでしょうか。
裁きの日には、あなたの心の隠されたものが明らかになります。
イエス様が来られると、イエス様を愛している人々は喜んで迎えます。
しかし、この世のものに執着する人々は、持ち物を失うことを恐れるでしょう。
だからこそ、イエス様は弟子たちに警告されました。
ロトの妻を思い出しなさい。自分のいのちを救おうと努める者はそれを失い、それを失う者はいのちを保ちます。(32-33)
神様がソドムを裁かれたとき、ロトの妻はソドムでの生活に執着し、後ろを振り返りました。結果として、彼女も裁かれることになりました。
もしあなたがこの世のものに執着するなら、イエス様が来られるとき、あなたも裁かれることになるでしょう。
あなたの心のあり方はどうでしょうか。
