この箇所では、私たちは少し不思議な出来事を目にします。パウロは各地を巡り、クリスチャンたちに異邦人に関する教会の決定を伝えました。つまり、異邦人は割礼を受ける必要がないということです。
それにもかかわらず、パウロはテモテに割礼を受けさせました。なぜでしょうか。
おそらく、テモテが純血のギリシャ人であれば、パウロは彼に割礼を受けさせなかったでしょう。
実際、テトスという人物は純血のギリシャ人であり、パウロは彼に割礼を受けさせませんでした(ガラテヤ2:3)。さらに、テトスの働きの対象は主に異邦人でした。
けれども、テモテの場合、彼の母がユダヤ人であり、彼自身もユダヤ人たちに福音を伝えたいと願っていました。そして、もしテモテが割礼を受けていなかったならば、ユダヤ人たちは彼の言葉に決して耳を傾けることはなかったでしょう。
そのため、テモテがユダヤ人に仕えたいと願うのであれば、割礼を受ける必要がありました。
パウロはその真理を次のように説明しました。
ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を獲得するためです。
律法の下にある人たちにはーー私自身は律法の下にはいませんがーー律法の下にあるもののようになりました。律法の下にある人たちを獲得するためです。。。
すべての人に、すべてのものとなりました。何とかして、何人かでも救うためです。(第一コリント9:20,22)
では、パウロの模範から私たちは何を学ぶことができるでしょうか。
できる限り、あなたが仕える人々に共感するべきです。そうしなければ、彼らはあなたの言葉に耳を傾けてくれないでしょう。
日本の宣教師として、私は日本人の言語や文化、考え方を学ぶべきです。
とはいえ、あなたが自分の国に住んでいる場合でも、周りの人々の考え方や生活、楽しんでいることを知るべきです。そして、できる限り相手のことを理解し、共感するよう努めるべきです。
例えば、あなたは社交的な人かもしれませんが、相手は内気な人かもしれません。
その場合、最初から大きな教会に彼らを紹介するのではなく、一対一で時間を過ごす方がよいかもしれません。また、もう一人か二人のクリスチャンの友人を紹介するのもよいでしょう。
もしかしたら、あなたはスポーツがあまり好きではないかもしれません。それでも、相手から誘われたなら、一緒に行く方がよいでしょう。
簡単に言うと、できる限り相手のことを理解し、共感しましょう。テモテもパウロもそうしました。
あなたはどうでしょうか。神様はあなたの人生にどのような人を置かれたでしょうか。彼らが救われるために、どのように彼らをもっと知り、共感できるでしょうか。
