「神様はどこにおられるのだろう?」
悲劇のただ中にいる時、多くの人々がそう問うのではないでしょうか。おそらく、この箇所に登場するやもめも、そう尋ねたことでしょう。彼女の夫はすでに亡くなり、突然、息子も命を落としてしまいました。
彼らは彼女が愛する家族であるだけでなく、彼女を経済的に支える唯一の存在でした。その時代では、夫や息子を失うことは、女性にとって貧困に陥る可能性が非常に高い状況でした。
そのため、葬儀の場で泣きながら、彼女はこう叫んだかもしれません。
「神様、あなたはどこにおられるのでしょうか。私たちを本当に愛してくださっているのでしょうか。なぜあなたは、このようなことを許されたのでしょうか。」
そして、神様が来られました。
死骸を運ぶ群衆は、命の源であるイエス様を取り囲む群衆に出会いました。
イエス様は泣いているその母親を見た時、彼女に深い同情の念を抱かれました。
イエス様は彼女に近づき、「泣かなくてもよい」とおっしゃいました。そして、イエス様は彼女の息子を復活させられたのです。
その奇跡を目の当たりにした群衆は、初めは度肝を抜かれたことでしょう。しかし、すぐに喜びに満たされ、歓声を上げたのです。
大預言者が私たちのうちに現われた。。。神がその民を顧みてくださった。(ルカの福音書7:16)
神様はどこにおられるでしょうか。神様は、すでに来ておられます。そして、神様は私たちのすぐ近くにおられます。
たとえあなたには神様が見えないとしても、また神様の臨在を感じられないとしても、神様は確かにここにおられるのです。
神様は、あなたの涙をご覧になっています。あなたの悲しみをよく知っておられます。そして、神様はあなたを深く愛しておられます。
その愛を神様は2000年前に証明されました。罪によって壊れたこの世界のために、イエス様は十字架で命を捨てられました。
そして、イエス様の復活を通じて、神様は私たちの問題に取り組む力を持っておられることを示されました。
また、イエス様は、ナインのやもめを助けられたように、私たちをも助けてくださいます。私たちがしなければならないのは、ただイエス様に頼ることだけです。
ダビデはこう言っています。
主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる。(詩篇34:18)
