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創世記のデボーション

正しくて、全き人

主は地上に人の悪が増大し、その心に図ることがみな、いつも悪に傾くのをご覧になった。

それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。。。

しかしノアは主の心にかなっていた。。。

ノアは正しい人で、彼の世代の中にあって全き人であった。

ノアは神とともに歩んだ。(創世記6:5-6,8-9)

ノアのように、私たちは人の悪が増大している世界に生きています。人々の心に図ることがみな、いつも悪に傾いているようです。だから、私たちの主は悲しんでおられます。

でも、今日の箇所を読んだとき、ノアの名前の代わりに自分の名前を入れようと思いました。

「ブルースは正しい人で、彼の世代の中にあって全き人であった。ブルースは神とともに歩んだ。」

正直に言うと、自分の罪や失敗を見ると、神様が私を正しくて全き人と呼ぶのは、想像しにくいです。「私は本当に主の心にかなっているだろうか」と思います。

でも、神様が私に思い出させてくださったのは、私が正しくて全き人と呼ばれている理由は、私が完全な人だからではなく、むしろ、私がただ神様と共に歩み、神様を信頼し、神様に従い、私の主であり創造主としてあがめ、神が良い方であることを信じているからなのです。

私は完全な人ではありませんが、イエス様が私の罪のために十字架で死なれ、私の罪を清め、私にイエスの義を着せてくださったので、神様は私を正しくて全き人と呼ぶことができます。(エペソ1:4、コロサイ1:22)

神様の恵みは本当に不思議だと思います。

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創世記のデボーション

忘れられたわけではない

水は百五十日間、地の上に増し続けた。神は、ノア。。。を覚えておられた。神は地の上に風を吹き渡らせた。

すると水は引き始めた。。。

第二の月の二十七日には、地はすっかり乾いた。(創世記7:24ー8:1、14)

コロナのせいで、私たちは何度も外出自粛するように要請されました。

でも、船が大きくても、一年以上の船の中での生活を想像できるでしょうか。

ノアとその家族はそうしなくてはなりませんでした。

大洪水が第一の月の十七日に始まり、次の年の第二の月の二十七日に地はやっと乾きました。(創世記7:11、8:14)

その間、神様は何回ぐらいノアと話しておられたでしょうか。

一回でしょうか。二回でしょうか。全然話しておられなかったでしょうか。

私は分かりませんが、「神はノアを覚えておられた」と書いてあります。

神様は一旦ノアたちを忘れて、「あ、しまった。ノアくんたちはまだその箱船にいる!忘れていた」と言われたわけではありません。

むしろ、神様はずっとノアたちを見守っておられました。

私たちは自分の試練やトラブルに直面しているかもしれません。でも、心に留めておいてください。あなたが神様に忘れられる時は一度もありません。

神様は私たちにこう言われます。

恐れるな。わたしがあなたを贖ったからだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたは、わたしのもの。

あなたが水の中を過ぎるときも、わたしは、あなたとともにいる。

川を渡るときも、あなたは押し流されず、 火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。

わたしはあなたの神、主、イスラエルの聖なる者、 あなたの救い主であるからだ。(イザヤ書43:1ー3)

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箴言

知恵を拒絶すると

この箇所では、神様の知恵を拒絶し、自分の知恵に頼る危険を見ることができます。

この個所を読むと、ノアの話を思い出します。洪水が来る前に、ノアはずっと人々に警告していました。

この個所の「知恵」のように、広場でノアは声を上げたでしょう。

「わきまえのない者たち。あなたがたは、いつまで、わきまえのないことを好むのか。あなたには道徳観念がないので、悪魔の言葉にすぐに騙され、悪に落ちてしまいます。(箴言1:22a)

(実は、箴言で、「わきまえのない者」というのは、道徳観念がなく、すぐに騙される人という意味です。)

多分、ノアは「知恵」のように、「いつまで、あなたは神様の言葉をあざけることを楽しむでしょう。いつまで神様の言葉を憎むでしょうか。」と尋ねていました。(22b)

そして、神様はノアを通して、彼らにこう叫んだでしょう。

「わたしの叱責に心を留めるなら、今すぐ、あなたがたにわたしの霊を注ぎ、あなたがたにわたしのことばを知らせよう。しかし、むしろ、あなたはわたしを拒絶します。

わたしの手を伸ばすのに、あなたは顧みません。あなたがたはわたしのすべての忠告を無視し、わたしの叱責を受け入れません。」(23-25)

そして、洪水が来ました。その時、おそらく彼らはやっと神様に叫びましたが、神様は応えてくださいませんでした。彼らが神様を探しても、見つけられませんでした。なぜでしょうか。

なぜなら、彼らは知識を憎み、主を恐れなかったからです。だから、彼らの行ないの実を食らいました。(31)

彼らの背信は自分を殺し、彼らの安心は自分を滅ぼしました。(32)

けれどもノアとその家族は主に従ったので、恐れずに、安全でした。

あなたはどうですか。

道徳観念がなくて、罪を犯しても安心するなら、あなたは結局滅びてしまいます。あなたの人生はめちゃくちゃになるし、最終的に地獄に行ってしまいます。

そして、地獄に行くなら、もう遅すぎます。つまり、悔い改める機会がありません。むしろ、あなたは自分の行いの実を食べます。

しかし、あなたが生きている間に、まだ希望があります。

だから、悔い改めてめましょう。神様の叱責を受け入れましょう。あなたの耳を開きましょう。

あなたの心が柔らかいなら、神様は自分の心をあなたに開いてくださいます。神様は命の道を教えてくださいます。天国への道だけではなく、この世にどうやって満ちた人生を送れるか教えてくださいます。

そして、あなたの人生は神様の喜びと平和で満ちます。

ノアのように、神様の声を聞いて従いましょう。そして、嵐が来るとき、あなたは恐れずに安心して生きることができます。