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サムエル記第二のデボーション

主に愛された者

彼女は男の子を生み、彼はその名をソロモンと名づけた。主は彼を愛されたので、預言者ナタンを遣わし、主のために、その名をエディデヤと名づけさせた。(「エディデヤ」とは「主に愛されたもの」を意味します)。(サムエル記第二12:24-25)

ダビデは大きな失敗をしていました。自分の罪によって、ダビデは主を蔑んでしまいました。そして、その罪の結果は、ダビデとその家族に長い間、大きな影響を与えました。

それでも。。。

ダビデの悔い改めに伴って、彼は神様の赦しを知りました。そのあと、ダビデはこの言葉を書きました。

東が西から遠く離れているように、
主は、私たちの背きの罪を私たちから遠く離される。(詩篇103:12)

もし私が神様だったら、たぶんこう言っていたと思います。

「ダビデとバテ・シェバを赦しはするが、この結婚を絶対に祝福しない。」

でも、神様はそのようには考えられませんでした。

ソロモンを「主に愛された者」と名づけることによって、神様はダビデとバテ・シェバにこのメッセージを伝えたかったのだと思われます。

「私はあなたたちをまだ愛している。あなたたちの罪によって、つらい時に直面することになるが、この子どもを見るとき、私の愛があなたたちから取り去られていないことを心に留めなさい。

ソロモンは私の愛する子どもです。あなたたちも、私の愛する子どもたちです。」

そして最終的に、ダビデとバテ・シェバとソロモンを通して、イエス様はこの世に来られました。(マタイ1:6–16)

それは恵みです。それは神の忠実な愛です。

あなたはどんな後悔を抱えているでしょうか。自分の過去の罪の結果によって、今も苦しんでいるでしょうか。

心に留めておきましょう。ダビデとバテ・シェバとソロモンのように、あなたは主に愛されている子どもです。

イエス様にあって、赦しがあり、神があなたのために整えられた道があります。

だからこそ、イエス様と共に、次の一歩を踏み出しましょう。