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ルカの福音書 ルカ23章

イエス様が答えてくださらない人

この箇所では、私たちはイエス様に対するヘロデの反応を見ることができます。

しかし、より正確に言えば、私たちはヘロデに対するイエス様の反応を見ることができるのです。

このヘロデは、バプテスマのヨハネを殺害しました。そして、彼がイエス様のことを初めて聞いた時、イエス様が実はよみがえったヨハネではないかと疑問に思いました。(マタイ14:12; ルカ9:7-9)

そのため、ヘロデはイエス様に会いたいと思いました。一方で、パリサイ人によれば、ヘロデはイエス様を捕まえたいとも考えていました。(ルカ13:31-33)

しかし、この物語では、ついにヘロデはイエス様に会うことができました。彼はイエス様に奇跡を行うよう頼んだり、さまざまな質問を投げかけたりしましたが、イエス様は何もお答えになりませんでした。

なぜでしょうか。おそらく、イエス様はヘロデが何を聞いても、イエス様を信じず、従わないことを知っていたからでしょう。

ヘロデは、かつて何度もバプテスマのヨハネの言葉を聞き、「非常に当惑しながらも、喜んで耳を傾けていた」にもかかわらず、悔い改めることはありませんでした。(マルコ6:20)

ヘロデはイエス様に対しても同じ態度を取りました。ヘロデにとって、イエス様は興味深い存在であったかもしれません。もしかしたら、イエス様が何か奇跡を披露してくれると期待していたのかもしれません。

けれども、ヘロデはイエス様を重んじることはなく、イエス様に従う意思も全くありませんでした。そのため、イエス様は何もお答えになりませんでした。

この物語は私たちへの警告です。もし私たちがイエス様に対して頑なな心を持っているならば、イエス様は私たちに語りかけることをおやめになるかもしれません。

イエス様は、私たちの願望を叶えるためだけの存在ではありません。私たちは、イエス様を軽んじてはなりません。

イエス様は私たちの神です。

イエス様は私たちの王です。

イエス様は私たちの主です。

あなたはどうでしょうか。あなたはイエス様をどのように考えますか。

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ルカの福音書 ルカ13章

どうしても恐れに負けない?

相手に「恐れるな」と言うのは簡単ですが、自分自身が恐れに打ち勝つことは時に難しいものです。

とはいえ、イエス様は決して恐れに屈されることはありませんでした。

ある日、パリサイ人たちがイエス様のもとに来て、こう言いました。

ここから出てほかの所へ行きなさい。ヘロデがあなたを殺そうと思っています。(ルカの福音書13:31)

このパリサイ人たちは本当にイエス様のことを心配していたのでしょうか。そうかもしれません。

パリサイ人の一人、ニコデモはイエス様を信じたようです。イエス様を信じたほかのパリサイ人たちもいたかもしれません。

それでも、私はこのパリサイ人たちの動機を疑います。

その時点では、ヘロデはイエス様を殺そうという意図を公にしていませんでした。

ヘロデが初めてイエス様について聞いたとき、バプテスマのヨハネがよみがえったのだと思ったようです。そのため、ヘロデはイエス様に会ってみたいと思いましたが、イエス様を殺そうとは考えていませんでした。(ルカ9:7-9)

そして、ついにイエス様と対面したとき、ヘロデはイエス様が奇跡を行うのを見せてほしいと願いました。(ルカ23:8)

もちろん、ヘロデがまったく危険ではないというわけではありません。

とはいえ、おそらくパリサイ人たちは彼の危険性を誇張したのではないでしょうか。なぜなら、彼らはイエス様に恐れを抱かせたかったからです。

そこで、イエス様はこう答えられました。

行って、あの狐にこう言いなさい。「よく見なさい。わたしは、きょうと、あすとは、悪霊どもを追い出し、病人をいやし、三日目に全うされます。

だが、わたしは、きょうもあすも次の日も進んで行かなければなりません。なぜなら、預言者がエルサレム以外の所で死ぬことはありえないからです。」(32-33)

簡単に言えば、「出ていけ。私は逃げない。」

なぜイエス様はヘロデを狐と呼ばれたのでしょうか。狐は狡猾であり、危険な動物だからです。また、ユダヤ人にとって、狐は価値のない者を象徴していました。

イエス様は御自身の教えに従われました。イエス様は蛇のように賢明な方でした。(マタイ10:16)

もちろん、イエス様は世の危険を軽視されたわけではありません。イエス様はその危険を十分に理解し、注意を払われました。

しかし同時に、人々を恐れることはありませんでした。彼らはイエス様の体を殺すことはできても、魂を滅ぼすことはできなかったからです。

それに、イエス様が死なれる時はまだ来ていませんでした。だからこそ、イエス様は天の父の御心に従うことを決断されたのです。

私たちもそのようにすべきです。神様に仕えようとするとき、私たちに敵対する者がいるかもしれません。その人は狡猾であり、危険な存在かもしれません。

そのような人には警戒しなければなりません。そうしなければ、私たちは傷つけられる可能性があります。

それでも、私たちは彼らを恐れるべきではありません。彼らに拒絶されることを恐れるべきではありません。彼らが私たちに何をするかを心配してはいけません。

むしろ、私たちは神様が命じられたことを忠実に行い続けましょう。

へブル人への手紙の著者はこう記しました。

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。

あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。(へブル12:2-3)

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マタイの福音書 マタイ2

王の到着のため、恐れ惑う

クリスマスの時、多くの人はイエス様を飼葉おけに眠る赤ちゃんとして思い浮かべます。そのイメージを好む人が多いのは、イエス様が優しく、何も求めず、ただ眠っているように見えるからでしょう。

けれども、イエス様はもはや飼葉おけに眠る赤ちゃんではありません。イエス様は王の王、主の主です。そして、いつか私たちはそのことを認めなければなりません。

この箇所を読むと、一つのことが目を引きます。それは、イエス様の誕生の知らせに対するヘロデ王とユダヤ人の反応です。

ある日、東方の博士たちがエルサレムにやって来ました。

彼らは誰だったのでしょうか。様々な説がありますが、メディヤ人の祭司たちであった可能性があります。(メディヤ人は、現在のイランの地域に住んでいました。)

彼らは占星術や天文学に精通し、バビロン帝国やペルシャ帝国では、しばしば王の助言者を務めていました。さらに、ペルシャでは王位継承の際に、彼らの承認が必要でした。

ダニエル書によると、バビロンにおいてダニエルは、呪法師、呪文師、カルデヤ人、星占いたちの長となりました。

多くの聖書学者は、ダニエルの影響により、この博士たちが将来来るユダヤ人の王についての預言を知っていたと考えています。さらに、ダニエルはその王がいつ現れるのかを予言しました。ダニエル書9章

そのため、博士たちは王の到来のしるしを待ち続けていました。そして、ある夜、彼らは王の星を見ました。

この星が何であったかは誰にも分かりません。このことについても、さまざまな意見があります。

いずれにせよ、彼らはその星を見た瞬間、エルサレムへ向かい、その王について尋ねました。

ところが、誰もそのことを知らなかったため、博士たちは非常に驚きました。さらに、王やユダヤ人の反応は、驚くべきものでした。

それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も王と同様であった。(3)

なぜ、ヘロデは恐れ惑ったのでしょうか。

一つ目の理由は、ユダヤ人の目には、彼が本当の王ではなかったことです。なぜなら、彼はダビデの子孫ではなく、ヤコブの系図にさえ属していませんでした。彼の血筋はエサウの系統から来ていました。

そのため、ユダヤ人は彼を真の王として認めませんでした。

二つ目の理由は、彼が自分の地位に対して極めて嫉妬深かったことです。権力を守るために、彼は自分の息子たちですら殺してしまいました。

では、なぜユダヤ人たちは恐れ惑ったのでしょうか。それは、彼らがヘロデの性格をよく知っていたからです。彼の反応は、容易に予測できました。

あなたもこの話をよく知っているかもしれません。ヘロデは博士たちに、この王を見つけるように頼みました。そして、「私も行って拝みたいから」と言いました。

博士たちはイエス様を見つけましたが、ヘロデに報告しようとしたとき、神様が夢を通して彼らに警告され、博士たちは別の道から帰りました。

ヘロデはそのことを知り、ベツレヘムにいる2歳以下の男の子をすべて殺すように命じました。

なぜでしょうか。博士たちの話によれば、2年ほど前にその星が現れたからです。(多くの人が思っているのとは違い、イエス様が生まれて2年後に博士たちはエルサレムに到着しました。)

しかし、神様はヨセフにヘロデの企みについて警告されたため、彼らはエジプトへ逃れました。

もう一度、ヘロデとユダヤ人の反応について考えてみてください。彼らは王の誕生を聞いたとき、恐れ惑いました。

今でも、多くの人々はイエス様を単なる赤ちゃんとしてではなく、自分たちの忠誠を求める王として見たとき、戸惑いを感じます。

ある人は、ヘロデのように、自分の心の王座をイエス様に譲りたくないため、怒り、反抗的な態度を取ります。彼らは自分の人生を支配し続けたいのです。

イエス様に従うことで、周囲の人がどう思うかを気にする人もいます。家族や友人から拒絶されることを恐れます。

けれども、ある日、「イエスの御名によって、すべての人はひざをかがめ、すべての口が『イエス・キリストは主である』と告白します。」(ピリピ2:10-11)

喜びをもってそう言う人もいれば、歯ぎしりしながら言う人も、恥じながら言う人もいるでしょう。しかし、すべての人がイエス様を王として認めるのです。

それならば、今こそ、喜びをもってイエス様を王として認めるほうが良いと思いませんか。

あなたの王は誰でしょうか。