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クリスマスの12日

クリスマス11日目

彼らはベテルから旅立った。エフラテに着くまでまだかなりの道のりがあるところで、ラケルは出産したが、難産であった。

彼女が大変な難産で苦しんでいたとき、助産婦は彼女に、「恐れることはありません。今度も男のお子さんです」と告げた。

彼女が死に臨み、たましいが離れ去ろうとしたとき、その子の名をベン・オニと呼んだ。しかし、その子の父はベニヤミンと名づけた。(創世記35:16-18)

ベン・オニとは、「私の悲しみの子」という意味です。

その反面、ベニヤミンとは、「右手の子」という意味です。

どちらの名前も、イエス様に当てはめることができます。

預言者イザヤは、イエス様についてこう語りました。

彼は蔑まれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で、病を知っていた。(イザヤ53:3)

でも、十字架の後、

この大能の力を神はキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上でご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世だけでなく、次に来る世においても、となえられるすべての名の上に置かれました。(エペソ1:20-21)

「悲しみの子」であり、「神の右手の子」であるイエス様をほめたたえましょう。

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創世記のデボーション

何の申し開きもできないでしょう

ユダが答えた。「あなた様に何を申し上げられるでしょう。何の申し開きができるでしょう。何と言って弁解することができるでしょう。神がしもべどもの咎を暴かれたのです。」(創世記44:16)

ユダの言葉は、私たちすべてに当てはまるでしょう。

私たちは天の御座の前に立ち、神様が私たちの人生の記録を開かれたとき、何も言うことができません。弁解することもできません。

ユダが自分の父ヤコブに語った言葉も、本当に印象に残ります。

もしも、あの子をお父さんのもとに連れ帰らなかったなら、私は一生あなたの前に罪ある者となります。(32節)

ヤコブは知らなかったかもしれませんが、ユダの言葉には、二つの意味があったと思われます。

ヨセフを奴隷として売るように勧めたのは、ユダでした。(創世記37:26ー27)

しかし、44章では、ユダが自分の罪の重さをどれほど感じていたかがわかります。

ヨセフを奴隷として売ったことで、もちろんヨセフに罪を犯しましたが、自分の父にも罪を犯しました。

ユダは過去を変えることはできませんでした。でも、ベニヤミンの命を保証することによって、自分の罪の償いをしようとしたのだと思います。

ユダの隠されたメッセージは、こうだったのかもしれません。

「もし、ベニヤミンを父のもとに連れ帰らなかったなら、私は一生あなたの前で、ヨセフに関して罪ある者となります。」

でも実際には、ユダがベニヤミンを父のもとに連れ帰ったとしても、その罪の償いをしたことにはなりません。

私たちは、どれほどユダのように、自分の罪の償いをしようとするでしょうか。でも、どんなに良いことをしても、私たちはその罪の償いをすることはできません。

神様が私たちの咎を暴かれるとき、私たちは弁解することができません。

しかし、良い知らせがあります。イエス様は十字架で、私たちの罪を背負われ、その代価を支払ってくださいました。私たちがしなければならないのは、ただイエス様の働きを信じて、休むことです。

だから、パウロはこう言いました。

こうして、私たちは信仰によって義と認められたので、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。

このキリストによって私たちは、信仰によって、今立っているこの恵みに導き入れられました。

そして、神の栄光にあずかる望みを喜んでいます。(ローマ5:1ー2)

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創世記のデボーション

苦しみの子、右手の子

メリークリスマス!

ヤコブはベツレヘムに行く途中、ラケルはヤコブの末っ子を生みました。でも、その子を生んだ後、ラケルはすぐに亡くなりました。

ラケルは死に臨み、その子をベン・オニと呼びました。ベン・オニとは、「私の苦しみの子」を意味します。

でも、その後、ヤコブはその子をベニヤミンと名付けました。ベニヤミンとは、「右手の子」を意味します。

約2000年後、もう一人の赤ちゃんが生まれました。その子はベツレヘムに生まれました。

ある意味、その子は「ベン・オニ」でした。イエス様が十字架にかけられたとき、剣はマリアの心を刺し貫きました。(ルカ2:34ー35)

さらに、イエス様ご自身が苦しみ、悲しみや痛みや人に拒絶されることを経験なさいました。(イザヤ53:3)

でも、十字架で、イエス様はご自分のいのちを死に明け渡し、私たちの罪を負い、神様に背いた私たちのために、とりなしをしてくださいました。(イザヤ53:12)

その後、天の父なる神様はイエス様を復活させて、

天上でご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世だけでなく、次に来る世においても、となえられるすべての名の上に置かれました。(エペソ1:20ー21)

苦しみの子。

天の父なる神様の右手の子。

それはイエス様です。

そして、それはクリスマスの意味です。

Joy to the world!

世界に喜びを。

The Lord is come.

主が来られた。

Let earth receive her King !

この世に王を迎え入れよう。

ーーアイザック・ウォッツ