聖書の中には、本当に不思議な話があります。
神様は預言者ホセアに「姦淫の女」と結婚するよう命じられました。彼女が売春婦であったかどうかは分かりませんが、ホセアはその女性と結婚する際、彼女が将来不倫をすることを知っていました。
この話が起こった時、ヤロブアム二世はまだイスラエルの王であり、ウジヤ(アザルヤという名前も持っていました)はユダの王でした。
ホセアは主にイスラエルに神様のメッセージを伝えていましたが、時折ユダにも伝えていました。
以前言ったように、その時イスラエルは繁栄していましたが、霊的な問題を抱えていました。イスラエル人はバアルを礼拝し、神様に対して不誠実でした。
そこで、ホセアの結婚を通して神様はイスラエルにメッセージを伝えようとされたのです。
ホセアはゴメルという女性と結婚しました。そして、彼女が息子を生んだ時、神様はその子をイズレエルと名づけるよう命じられました。
なぜなら、エフー王が神様の言葉に従ってイズレエルという場所でアハブ王の家族を殺したものの、最終的にエフーはやりすぎたからです。そのため、神様はエフーの家族とイスラエルを裁くと仰せられたのです。(ホセア書1:4)
その後、ゴメルは二度赤ちゃんを産みましたが、聖書ではその二人がホセアの子供であるとは書かれていません。(おそらく、イズレエルは本当にホセアの子だったのでしょう。)
つまり、ゴメルは不倫をし、他の男性の子供を産んだのです。
一人を「ロ・ルハマ」と名付けました。その意味は「愛されていない」です。
次の赤ちゃんを「ロ・アミ」と名付けました。その意味は「私の民ではない」です。
その状況は非常に明確な象徴でした。ホセアにとって、その二人を愛するのは非常に難しかったと思います。また、当然「この二人の赤ちゃんは私の子供だ」とは言えなかったでしょう。
同じように、イスラエルが神様に対して不忠であったため、神様はイスラエル人について「私の愛する民」とは言えず、「私の子供たち」とも言えなかったのです。
むしろ、神様は彼らを拒絶し、イスラエルが国として倒れると警告されました。
それでも、その罰は永遠に続かないと約束されました。むしろ、いつか神様は彼らを回復させ、もう一度「私の民、私の子」と呼ぶと約束されたのです。(1:10-11)
しかし、2章では神様がイスラエル人の不忠な心を責められました。彼らは、受けた祝福が拝んでいた偽りの神々から来たのではなく、真の神様から来たことに気づかなかったのです。
だから、神様は彼らの祝福を止め、すべての良いものを取り去ると言われました。彼らは喜びと幸せを求めても見つけられず、むしろ恥だけを見つけるようになるのです。その時、彼らの状態は本当に厳しくなり、神様に戻る以外の選択がなくなるのです。
それでも驚くべきことに、彼らが不忠であっても、神様は彼らを追い続けられるのです。神様はこう言われました。
それゆえ、見よ、わたしは彼女をくどいて荒野に連れて行き、優しく彼女に語ろう。わたしはその所を彼女のためにぶどう畑にし、アコルの谷を望みの門としよう。
彼女が若かった日のように、彼女がエジプトの国から上って来たときのように、彼女はその所で答えよう。
その日、――主の御告げ――あなたはわたしを『私の夫』と呼び、もう、わたしを『私のバアル』とは呼ぶまい。。。
わたしはあなたと永遠に契りを結ぶ。正義と公義と、恵みとあわれみをもって、契りを結ぶ。わたしは真実をもってあなたと契りを結ぶ。このとき、あなたは主を知ろう。。。
「愛されない者」を愛し、「わたしの民でない者」を、「あなたはわたしの民」と言う。彼は「あなたは私の神」と言おう。(ホセア書2:14-16、19-20,23)
イスラエル人がその言葉を理解し思い出すために、神様はホセアにこう命じられました。
「あなたの妻をもう一度愛しなさい。ゴメルは他の人の奴隷になりましたが、その人から彼女を買い戻しなさい。そして、もう一度ゴメルをあなたの妻として受け入れなさい。」
私たちはこの話から何を学ぶことができるでしょうか。
私たちが神様からどんなに遠く離れても、神様は私たちをなお愛し、追い続けてくださいます。
神様は私たちを懲らしめることもあります。私たちの罪のために、神様が私たちの人生に困難な状況を許されることもあります。けれども、神様の目的は私たちを回復することなのです。神様のすべての行動は愛と忠実から来ています。
だから、ホセアがゴメルに伝えたように、私たちはもうこの世を愛さず、霊的な不貞を犯さないようにしましょう。
神様に立ち返り、忠実であり続けましょう。なぜなら、神様は私たちに忠実であり、キリストの十字架の働きによって私たちを贖われたからです。