カテゴリー
ルツ記のデボーション

安息を得るために

姑のナオミは彼女に言った。「娘よ。あなたが幸せになるために、身の落ち着き所を私が探してあげなければなりません。」(ルツ記3:1)

今日、神様の安息について思いを巡らせていました。

ルツは、ある意味で安息を見つけました。ナオミ、そして特にボアズに信頼を寄せることで、身の落ち着き所となる安息を得たのです。

もしボアズがそれほど善良な人でなければ、その夜、ルツは本当に困っていたことでしょう。

しかし、彼女はボアズが善良な人であることを信じていたので、やがて安息を見出すことができました。

ルツの態度とは対照的に、士師の時代のイスラエルの民は神様に信頼を寄せることを拒み、何度も安息を失いました(士師記1:18~19、2:11~12、3:30~4:2、5:31~6:2)。

ところで、聖書では、「買い戻し」と訳される語は(ルツ3:9)、神様に当てはめるとき、「あがない」と訳されます。

つまり、ルツは自分の「あがない主」であるボアズを信頼しましたが、イスラエルの民は自分の「あがない主」である神を信頼しなかったのです。

今、私は安息を失った人々のことを考えています。彼らが安息を失ったのは、あがない主が良い神であることを信じなくなったからです。

私はその模範に倣いたくありません。

ルツのように、私は自分のあがない主が良い方であり、その約束が確かであることを信じる道を選びます。

すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイ11:28)

カテゴリー
ルツ記のデボーション

偶然ではないのです

それは、はからずもエリメレクの一族に属するボアズの畑であった。(ルツ記2:3)

ルツ記の著者は、ちょっと微笑みながら、その言葉を書いたでしょう。

「はからずも」?

それは、きっと神様の導きでした。

ナオミは、神様が自分を見捨てたと思っていました。でも、神様はまだナオミのために計画を持っておられました。上記の「偶然」は、ナオミだけではなく、私たちにも影響を与えました。

(ネタバレですが、興味があれば、マタイの福音書1:5〜6、16を読んでみてください。)

ナオミにそれがわかってきたので、心の中に希望がよみがえりました。

神様には、偶然はありません。神様は、意図的にご自分の目的を達成しておられます。そして、その計画は、神様を愛する私たちの益のためのものです。(ローマ8:28)

私はこれまで、いろんな「偶然」に出会ってきました。でも、振り返ると、それらは偶然ではありませんでした。そして、神様の私のための計画が明らかになるにつれて、私は神様が良い方であることを、もっと深く知るようになりました。

だからこそ、私は希望を持っています。

たしかに、主は御恵みを惜しまない方です。