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ペテロの手紙第二

イエス様を本当に知り、愛するなら

この話を読んだとき、私はイエス様のミナのたとえ話を思い起こしました。(ルカ19:11ー27)

このたとえ話では、ある主人が三人のしもべたちにお金(ミナ:お金の単位)を投資させるために与えました。二人のしもべたちはそのお金をうまく投資し、利益を得たため、主人は彼らに気前よく報酬を与えました。

ところが、三人目のしもべは、そのミナを安全な場所にただ隠してしまいました。そのしもべの言い訳を聞くと、彼が主人の性格を正しく理解していなかったことが分かります。

そのしもべは主人を厳しい方だと考えました。また、彼は主人が何もせずにしもべたちに苦労させ、彼らの労働でお金を得ていると文句を言いました。そのため、このしもべは主人のお金を投資することを拒否したのです。

多くの人々は、このしもべのようです。彼らは自分がクリスチャンだと自称し、教会に通っているにもかかわらず、神様の性格に疑いを抱いています。彼らは神様が厳しく、不公平な方だと考え、神様が私たちの最善を知り、私たちの最善を望んでおられることを疑っています。

要するに、彼らは神様が良い方であることを疑っているのです。その結果、彼らは神様とその目的のために生きることを拒否します。

けれども、神様を知り、神様を愛する人がそのように生きることができるでしょうか。もちろんできません。

とはいえ、若いクリスチャンは神様をまだ十分に知らず、神様に対する愛もまだ未成熟であるかもしれません。しかし、私たちが成長するにつれて、神様に対する考え方は変わり、神様への愛が深まっていくはずです。

ペテロが言ったように、私たちが神様を知れば知るほど、神様の恵みと平安は私たちに豊かに溢れます。それはどうしてでしょうか。それは、神様が良い方であると悟るからです。

例えば、私たちは神様から次のような賜物を与えられます。赦しの賜物、永遠のいのちの賜物、御霊の賜物などです。神様が良い方であることを知るにつれて、私たちはさらに神様を愛し、神様のようになりたいと願うのです。つまり、

  • 私たちは神様の良い性質を見て、神様の性質を自分のものとしたいと願います。
  • 私たちは神様の知恵を目にし、それを学び取りたいと思います。
  • 誘惑の中で示されたイエス様の自制を見ると、私たちもその自制を身につけたいと願います。
  • イエス様が十字架の苦しみにさえ耐え抜かれたので、私たちも試練の時には忍耐と勇気を持つことができます。
  • イエス様が天の父の御声を聞き、それに従う姿を見ると、私たちもその模範に従いたいと願います。
  • 私たちは神様の愛と親切を知り、その愛と親切を周りの人々に示したいと思います。

だからペテロはこう言います。

これらがあなたがたに備わり、ますます豊かになるなら、私たちの主イエス・キリストを知る点で、あなたがたが役に立たない者とか実を結ばない者になることはありません。(ペテロの手紙第二1:8)

そして、イエス様のたとえ話に出てくるしもべたちのように、

私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの永遠の御国に入る恵みを、豊かに与えられるのです。(11節)

しかし、ペテロは私たちに警告します。

これらを備えていない人は盲目です。自分の以前の罪がきよめられたことを忘れてしまって、近視眼的になっているのです。(9節)

三人目のしもべは、そのような人でした。彼は主人の良い性質を忘れてしまい、その結果、彼は盲目的になり、自らの来たる破滅を予測することができませんでした。

あなたはどうでしょうか。あなたは神様をどのように見ていますか。神様の本当の性質を見ていますか。それとも、もしかすると、神様に対するあなたの考え方は歪んでいるかもしれませんか。

神様に対するあなたの考え方は、あなたの人生全体を形作ります。そして、裁きの日には、あなたの態度が明らかになります。

その日、神様はあなたについて何を言われているでしょうか。