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エステル記

確率をコントロールする神

ハマンはいつユダヤ人を殺すのが良いかを知るために、くじを投げました。(3:7)

ところが、その後、神様はハマンの計画に干渉されました。

エステルの宴会から帰る時、ハマンは本当に喜んでいました。なぜなら、彼と王以外にはその宴会に誰も招待されなかったからです。それに、エステルは何か願いがあるように見えましたし、彼女はハマンの高い地位を認め、ハマンの助けを求めているように思えたからです。

けれども、帰る途中で、ハマンは再びモルデカイを見ました。そして、モルデカイがハマンの計画を知っているのに恐れを示さず、依然としてハマンを敬っていなかったのです。

そこで、ハマンは家族の助言に従い、翌朝に王にモルデカイを殺す許可を求めることに決めました。

しかし、偶然にもその夜、王は眠れませんでした。だから、たまたま彼は、

記録の書、年代記を持って来るように命じ、王の前でそれを読ませた。(エステル記6:1)

その時、王はモルデカイがどのようにして自分の命を救ったかを思い出しました。そして、その話を聞いたとき、王は尋ねました。

このために、栄誉とか昇進とか、何かモルデカイにしたか。(6:3)

でも、王のしもべは答えました。

彼には何もしていません。(6:3)

たまたまハマンは宮殿に到着したところでした。ハマンはモルデカイを殺す許可を求めようと考えていましたが、彼が話す前に、王が言いました。

王が栄誉を与えたいと思う者には、どうしたらよかろう。(6:6)

ハマンはそれを聞いて、このように考えました。

王が栄誉を与えたいと思われる者は、私以外にだれがあろう。(6:6)

だから、ハマンは最高の報いを思いつきました。そして、王はハマンに言いました。「なるほど、良い考えだ。モルデカイのためにそうしなさい。」

そのため、ハマンは一日中モルデカイを町の広場に導き、こう叫びました。「王が栄誉を与えたいと思われる人はこのとおりである。」(6:9)

もちろん、ハマンは本当に恥ずかしかったでしょう。

私たちはこの話から何を学ぶことができるでしょうか。

この話の中には、多くの「偶然」が登場します。けれども、それは本当に偶然だったのでしょうか。私の言葉を借りるなら、それは「Godincidences」だと思います。つまり、それは神様が行った出来事なのです。

神様は時間と空間に介入して、ご自身の目的を果たすために人間の計画に干渉されました。

神様は王を眠れなくされました。

記録の書を読んでもらうという考えを王に与えられました。

そして、ちょうど良いタイミングでハマンを宮殿に導き、モルデカイの命を救い、ハマンを低くされました。

神様はエステルの時代に働かれました。そして、私たちの時代にも働いておられます。神様にとって、偶然は全くありません。

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エステル記

二人の高ぶる者

皮肉なことですが、昨日私はモルデカイを誉めました。それは、彼が王を尊敬していたからです。けれども、今日はモルデカイを批判します。

なぜでしょうか。それは、モルデカイのプライドと頑固さのせいで、彼がハマンを尊敬しなかったからです。エステル記3:3では、こう書いてあります。

[ハマンに対して]モルデカイはひざもかがめず、ひれ伏そうともしなかった。

どうしてでしょうか。聖書にはモルデカイの言い訳は書かれていませんが、私たちは想像することができると思います。

ハマンを神様のように礼拝したと考える人もいます。私はそうは思いません。なぜなら、アハシュエロス王が人々にハマンにひざをかがめてひれ伏すように命じたからです。

アハシュエロス王は人々に自分を神様として礼拝することを要求しなかったのに、人々にハマンを神様として礼拝するように命じたでしょうか。それはあり得ないと思います。

さらに後で、モルデカイはアハシュエロス王の次の位につきました。けれども、もしモルデカイが王にひざをかがめてひれ伏さなかったとしたら、おそらく彼はその地位を得ることができなかったでしょう。

それでは、どうしてモルデカイはハマンにひざをかがめてひれ伏さなかったのでしょうか。

モルデカイの家系を見ると、彼はサウル王の子孫でした。神様はサウルにアマレク人とその王アガグを殺すように命じられました。なぜなら、アマレク人はいろいろな酷い罪を犯していたからです。

例えば、イスラエル人が沙漠を越えた時、アマレク人は疲れた弱い人々を攻撃して殺しました。

ところが、サウルはその命令に完全には従いませんでした。そのため、神様は王国をサウルから取り去られました。(第一サムエル記15章)

その時からユダヤ人とアマレク人の間には悪意がありました。特に、サウルの子孫とアマレク人の間には悪意がありました。

おそらくそのために、モルデカイはハマンにひざをかがめてひれ伏したくなかったのでしょう。つまり、プライドのためにそうしたくなかったのです。

それでも長い間、ハマンはモルデカイのことに全く気づいていませんでした。(おそらく、彼の鼻があまり高くて、周りのことにほとんど気づいていなかったのでしょう。)

けれども、王の家来たちがハマンにモルデカイのことを伝えると、ハマンは本当に怒りました。そして、ハマンはモルデカイがユダヤ人であることを知ったため、モルデカイだけではなく、すべてのユダヤ人を殺そうと思いました。

ハマンはそのプライドによってその決断をしました。しかし、そのプライドは結局ハマンを没落に導きました。

モルデカイはそのプライドによってハマンを尊敬しませんでした。しかし、もし神様がユダヤ人を救わなかったとしたら、そのプライドのせいでユダヤ人は皆殺しにされていたでしょう。

モルデカイがそのニュースを聞いて泣いた時、そのことについて考えたのでしょうか。彼は自分のプライドを後悔したのでしょうか。(4:1)

あなたはどうでしょうか。何によってあなたは決断をしますか。聖霊とその御言葉はあなたの行動を導くでしょうか。それとも、あなたのプライドがあなたの行動を導くのでしょうか。

私たちのプライドが私たちの人生を支配するなら、私たちは没落に導かれます。

どれほど多くの結婚がプライドによって壊れてしまうでしょうか。

どれほど多くの他の人間関係がプライドによって破壊されるでしょうか。

どれほど多くのキャリアやミニストリーがプライドによって失われるでしょうか。

だからこそ、謙遜になることを学びましょう。神様の前に謙遜に生きましょう。また、周りの人々の前に謙遜に生きましょう。

ヤコブはこう書きました。

神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。(ヤコブ4:6)