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詩篇のデボーション

神様がだれであるからこそ

私の口のことばと私の心の思いとが
御前に受け入れられますように。
【主】よわが岩わが贖い主よ。(詩篇19:14)

その言葉は、私にとって馴染み深いものです。私は何度もその言葉を読み、歌ってきました。 けれども今日、その最初の一部を思い巡らしました。

私にとって、神様はだれでしょうか。

神様は「ヤハウェ」です。つまり、神様は永遠の方です。 ただひとりの神であり、他の神々に勝る偉大な方、創造のすべての主です。

それでも、神様は私から遠く離れている方ではありません。 神様はインマヌエルであり、私たちとともにおられる神です。 私の岩。私の基盤。嵐の中の私の砦です。

さらに、神様は私のあがない主です。 イエス様は十字架で血潮を流し、サタンの国の奴隷生活から私を救い出し、 ご自身のご支配の中に移してくださいました。

だからこそ、私は神様を愛し、喜ばせたいと願います。

そのような心をもって、私は今日、ダビデとともに歌います。

私の口のことばと私の心の思いとが
御前に受け入れられますように。

あなたにとって、神様はどのような方でしょうか。

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出エジプト記のデボーション

私たちが絶望するとき

モーセはこのようにイスラエルの子らに(神様の約束を)語ったが、彼らは失意と激しい労働のために、モーセの言うことを聞くことができなかった」(出エジプト記6:9)

正直に言うと、私たちが絶望して、この世に打ちのめされているとき、人々が神様の励ましの言葉を語っても、多くの場合、私たちはその言葉を聞きたくないものです。

私たちはその言葉を聞いて、うんざりし、「私は何回もこんな言葉を聞いたことがあるけれど、私の人生は前よりも大変になった」と思います。

でも、私たちが覚えていなくてはならないのは、神様が「ヤハウェ」という神であるということです。

「ヤハウェ」という名前は、変わることのない神、いつも約束を守られる神、そして、常に忠実な神を意味します。

だからこそ、神様は三回、「私は主である」、つまり「私はヤハウェである」と言われました(2、6、8)。

ですから、今あなたが苦しんでいるなら、その真理に思いを巡らしましょう。

「私は主である。私はヤハウェである。」

そして、心に留めておきましょう。アブラハム、イサク、ヤコブ、モーセ、そしてイスラエルの民と共におられた神様は、今もあなたと共におられるのです。

神様は、昔も今も忠実であり、永遠に忠実でおられるお方です。