カテゴリー
列王記第二 歴代誌第二

表面的な悔い改め

これはユダ王国の没落の始まりを示しています。

ヨシヤはユダの最後の良い王でした。そして、この箇所を見ると、ヨシヤの影響によってユダ人たちは悔い改めたように見えます。

ヨシヤは偽物の神々とその祭壇を取り壊し、霊媒や口寄せ、偽りの祭司たちを処刑しました。

そして、ユダ人たちが過ぎ越しの祭りを祝った際、その祝いは非常に素晴らしいものでした。預言者サムエルの時代以来、このような祭りは行われていなかったのです。(歴代誌第二35:18)

そのため、歴代誌第二には、次のように記されています。

[ヨシヤ]の生きている間、[ユダ人たち]はその父祖の神、主に従う道からはずれなかった。(歴代誌第二34:33)

しかし、列王記第二には次のように記されています

それにもかかわらず、マナセが主の怒りを引き起こしたあのいらだたしい行ないのために、主はユダに向けて燃やされた激しい怒りを静めようとはされなかった。

主は仰せられた。

「わたしがイスラエルを移したと同じように、ユダもまた、わたしの前から移す。わたしが選んだこの町エルサレムも、わたしの名を置く、と言ったこの宮も、わたしは退ける。」(列王記第二23:26-27)

問題は何だったのでしょうか。ヨシヤは心から悔い改めましたが、多くのユダ人たちはそうしませんでした。

もちろん、一部のユダ人たちは本当に悔い改めましたが、多くの人々は自分の罪を犯し続けました。

その罪を隠していたかもしれませんが、それでもなお罪を続けていたのです。そして、ヨシヤが死んだ後、その悪は再び現れてしまいました。

あなたはどうでしょうか。ヨシヤのように、心から神様に仕えているでしょうか。

それとも、表面的には神様に仕えているふりをしながら、この世の偶像、すなわちお金、セックス、力に仕えているのでしょうか。

周囲の人々を欺くことはできるかもしれませんが、神様を欺くことは決してできません。

そして、そのような振る舞いを続けるなら、ユダ人たちと同じように代価を支払うことになります。

私たちを神様から遠ざけるものを捨て去り、心から神様に従いましょう。

カテゴリー
列王記第二 歴代誌第二

ごみを捨てる

私は古いものをあまり捨てません。必要のない物でも、私はずっと持ち続けてしまいます。

多くの人々は、私のようにため込む傾向があるかもしれません。けれども、もしあなたがクリスチャンであるなら、捨てなければならないものがあります。それは、罪と罪へと導くものです。

そのため、アモン王の息子であるヨシヤがユダの王になったとき、彼は霊的なごみを捨て始めました。ただし、それには少し時間がかかりました。

ヨシヤは8歳の時に王となりましたが、16歳になると神様を求め始めました。(歴代誌第二34:3)

では、なぜヨシヤは神様を求め始めたのでしょうか。

それは彼の父アモンの影響ではなかったはずです。アモンは本当に悪い王でした。

おそらく、彼の祖父マナセが自分の失敗についてヨシヤに教えたのかもしれません。

とにかく、ヨシヤは偶像やその祭壇を捨てました。実際、その偶像を粉々に砕いたのです。それだけでなく、その偽りの神々の祭司たちを処刑しました。

これはまさに「ごみ」を捨てることです。

私たちも同じようにすべきです。

それはポルノの雑誌やビデオといった具体的なものかもしれません。

または、心の中にある苦々しい思いや妬み、怒り、貪欲といったものかもしれません。それらもすべて捨てなければなりません。なぜなら、神様の民にはそのようなものはふさわしくないからです。

もし私たちが本当に神様を求めているなら、ヨシヤのようにそのようなものを捨てるべきです。

あなたは何を捨てるべきでしょうか。