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サムエル記第二のデボーション

主の人?恥のある人?

サウルの子イシュ・ボシェテは、アブネルがヘブロンで死んだことを聞いて、気力を失った。全イスラエルもおじ惑った。(サムエル記第二4:1)

興味深いことですが、「イシュ・ボシェテ」という名は「恥のある人」という意味です。

もともと彼の名前は「エシュバアル」、すなわち「主の人」でした。(歴代誌第一8:33)

けれども、父サウルと同じように主を信頼しなかったゆえに、彼は「恥のある人」となってしまいました。

そして、彼の世界が崩れ落ちたとき、彼は主を求めることなく、気力を失ってしまいました。

もしその兄ヨナタンが生きていたら、どうなっていたでしょうか。彼はすぐに王位をダビデに譲ったことでしょう。

彼はかつてダビデにこう言いました。

あなたこそ、イスラエルの王となり、私はあなたの次に立つ者となるでしょう。(サムエル記第一23:17)

ヨナタンは主を信頼し、その御心に従おうと努めました。彼こそ、本当に「主の人」でした。

私もそのような人になりたいと願います。

主よ、私があなたの人となるようにしてください。私が毎日毎日、一瞬一瞬、あなたを信頼し、従う者となるように。

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サムエル記第一のデボーション

愛するものからの傷

サムエル記第一19〜20章を読んだとき、私はサウルがどのように感じたかを思い巡らしていました。

おそらく、サウルは自分の子供たちに裏切られたと感じたでしょう。なぜなら、彼らはサウルの見方ではなく、ダビデの見方だったからです。そのことによって、サウルは深く傷ついたのです。

しかし、悪かったのは彼らではなく、サウル自身でした。

ヨナタンの言葉はサウルの心を刺しましたが、もしその言葉に耳を傾けていたなら、サウルは癒しを知ることができたでしょう。でも、残念ながら、彼は破滅に至る道を歩み続けました。

私はサウルほどではないと思っていますが、頑なになることがあります。それでも、そのような態度を避けたいのです。

むしろ、忠実な友人の言葉に心を開いたままでいたいと願います。たとえその言葉が痛くても、受け入れたいのです。(箴言27:5〜6)

特に、イエス様の言葉に心を開き続けたいです。なぜなら、イエス様は私のもっとも忠実な友だからです。