数年前まで、私は黙示録の中心に福音があることに気づいていませんでした。
けれども、第1章で私たちが見たのは、黙示録が福音のメッセージから始まっているという事実です。今日の箇所でも、私たちは黙示録の核心が福音であることを見出します。さらに、黙示録の最後の章では、福音の完成が描かれています。
第4章では、天の父が御座に着いておられ、神がふさわしい礼拝と賛美を受けておられます。
けれども、第5章で、ヨハネは新たなことに気づきます。天の父の右手には巻物があり、その巻物の内側にも外側にも文字が記され、七つの封印で厳かに閉じられていました。
ローマ帝国の時代、遺言はそのように記されました。巻物の外側の文字には遺言の要点が記され、実際にその遺言を実行するためには、誰かが封印を解いて巻物を読み解かなくてはなりませんでした。
神の巻物には、神の御心と救済の計画すべてが記されていました。とはいえ、その封印がまだ解かれていなかったため、神の計画は実行に移すことができませんでした。その時、強い御使いが叫びを上げました。
巻物を開き、封印を解くのにふさわしい者はだれか。(黙示録5:2)
その反応は何だったでしょうか。 それは沈黙でした。
ちょっと考えてみてください。
神様の御座の回りには、24人の長老たちが座っていました。四つの生き物もいました。何万人もの御使いたちもいました。
地上にも、たくさんの素晴らしいクリスチャンがいました。たとえば、イエス様が特別に愛された弟子ヨハネは、まだこの世に生きていました。
他のクリスチャンたちは亡くなって、天にいました。ペテロやパウロも、すでに天にいました。
けれども、巻物の封印を解き、それを読むにふさわしい者は、誰ひとりいませんでした。
だから、ヨハネは泣き始めました。神のご計画が無駄になってしまうと思ったからです。その計画は読まれることもなく、実行されることもなく、永久に眠ってしまうと思いました。
ところが、長老の一人がヨハネに語りかけました。
泣いてはいけません。ご覧なさい。ユダ族から出た獅子、ダビデの根が勝利したので、彼がその巻物を開き、七つの封印を解くことができます。(5)
ヨハネが目を上げたとき、彼はイエス様のお姿を見ることを予想していたかもしれません。あるいは、イエス様を象徴するライオンの姿を目にすることを予想していた可能性もあります。ところが、彼が目にしたのは子羊でした。それも、普通の子羊ではなく、屠られた姿の子羊でした。
もしかすると、ヨハネは多くのユダヤ人と同じように、メシアについて誤ったイメージを抱いていたのかもしれません。勝利を収めるメシアと聞いて、人々は国々を打ち破るライオンの姿を思い描いたことでしょう。
もちろん、イエス様はライオンです。けれども、イエス様が勝利を得る方法は、子羊として死なれることでした。イエス様はライオンであり、子羊なのです。
その子羊は七つの角を持っていました。これらの角は、イエス様の力を表しています。また、七つの目は、イエス様がすべてをご存知であることと、聖霊の臨在を表しています。まさにその力と御霊によって、イエス様は復活され、勝利を得られました(エペソ1:19〜20;ローマ8:11)。
とにかく、イエス様がその巻物を取られると、四つの生き物と24人の長老たちは、いつも歌っている賛美(4:8、11)を中断し、新しい歌を歌い始めました。
あなたは、巻物を受け取り、封印を解くのにふさわしい方です。(9a)
なぜ、イエス様はその巻物を受け取るにふさわしいお方なのでしょうか。
あなたは屠られて、すべての部族、言語、民族、国民の中から、あなたの血によって人々を神のために贖い、私たちの神のために、彼らを王国とし、祭司とされました。彼らは地を治めるのです。(9b-10)
この言葉によって、私たちは福音の全体像と、神様の永遠のご計画を見渡すことができます。イエス様の血によって、私たちは自分の罪から贖われ、神の民、国、そして祭司として立てられました。
そして、神様がすべてのものを新しくされるとき、私たちは永遠に神に仕え、新しい天と地を治めるのです。
こうして、天と地のすべての被造物が共に叫びます。
屠られた子羊は、力と富と知恵と勢いと誉れと栄光と賛美を受けるにふさわしい方です。。。
御座に着いておられる方と子羊に、賛美と誉れと栄光と力が世々限りなくあるように。。。アーメン。」(12-14)
それこそが、黙示録の中心的なテーマです。それは、福音と、その福音を実現した方—ライオンであり子羊である—を描いています。
この福音によって、私たちは希望を持っています。なぜなら、神様のご計画がすべて成し遂げられるという確信があるからです。
ですから、神様の御使いたち、そして天と地のすべての被造物と共に歌いましょう。「子羊は、ふさわしい方です。」
