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士師記

神様に従う時

私たちは皆、ロールモデルがいます。ある人にとっては、お父さんやお母さんです。他の人にとっては、おじいさんやおばあさん、あるいは先生です。

私たちが若い頃、彼らは私たちの成長にとって本当に大切な存在です。私たちの人格を形づくる手助けをしてくれます。私たちが育っていく過程を支えてくれます。

けれども、私たちが彼らから目を離して、神様に仰がなくてはならない時が来ます。

他のロールモデルは不完全です。時々彼らは失敗します。彼らは時々ミスをします。それに、彼らには弱さがあります。そして、時々、彼らは私たちを助けられません。だから、私たちは彼らに頼らずに神様に頼らなくてはなりません。

この箇所を読むと、バラクがそこまで成長していないことがわかります。その時、デボラという人はイスラエル人の預言者であり、イスラエルを裁いていました。

その時、イスラエル人の敵であるヤビン王は彼らを圧迫していました。デボラはバラクに言いました。

「イスラエルの神、主はこう命じられたではありませんか。『タボル山に進軍せよ。ナフタリ族とゼブルン族のうちから一万人を取れ。

わたしはヤビンの将軍シセラとその戦車と大軍とをキション川のあなたのところに引き寄せ、彼をあなたの手に渡す。』」(士師記4:6-7)

ところが、バラクは言いました。「もし、あなたが私たちと共に行かないなら、私は行きません。」

だから、デボラは答えました。

私は必ずあなたといっしょに行きます。けれども、あなたが行こうとしている道では、あなたは光栄を得ることはできません。主はシセラをひとりの女の手に売り渡されるからです。(9)

どうして、デボラはそう言っていたのでしょうか。バラクの願いは悪かったでしょうか。もしかしたら、悪くなかったけど、理想的な反応ではなかった。なぜでしょうか。

一番の理由は、バラクが神様を信じなかったからです。神様だけに頼りませんでした。むしろ、彼は神様に頼る人に頼りました。

とはいえ、さらに悪いこともあり得ます。もし彼が神様に頼らない人に頼っていたなら、もっと大変なことになっていたでしょう。

しかし、結局、私たちの信仰は他の人の信仰に頼らずに、立たなくてはなりません。つまり、私たちはイエス様だけを信じなくてはなりません。私たちが神様に従う理由が、誰かが私たちに「神様に従いなさい」と言ったことだったら、それはダメです。

私たちは神様に対する愛によって、神様に従うべきです。

クリスチャンホームで育てられた子供たちは皆、その選択に直面します。私もその選択に直面しました。私は自分自身に訊かなくてはなりませんでした。

「どうして神様を信じるのでしょうか。私の両親が信じるからでしょうか。それとも、神様が私に対して本当にリアルだからでしょうか。

私が神様に従う理由が、私の両親が神様に従うからでしょうか。それとも、私の個人の経験によって、神様に信頼できることを知っているからでしょうか。」

いつか、私たちのロールモデルの手を離してイエス様の手を取らなくてはなりません。

もちろん、私たちは他のクリスチャンのサポートが必要です。神様は他のクリスチャンを私たちの人生に置いて、私たちを励まし、成長することを助けてくださいます。

しかし、私たちは不完全なロールモデルに頼るべきではありません。むしろ、イエス様に頼るべきです。

ヘブル人への手紙の著者が言ったように、

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。(へブル12:2)

誰の手をつないでいるでしょうか。