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エペソ人への手紙

私たちが一つになるように

5年前にこの箇所を読んだとき、私は改めてパウロの言葉を認識しました。 それ以前は、パウロの言葉をどのように自分の人生に当てはめられるかを考えていましたが、実際には、彼が語っていたのは個々のクリスチャンではなく、教会全体についてであると気づきました。

ユダヤ人と異邦人の間にあった隔ての壁は取り壊され、私たち皆がクリスチャンとして一つにされました。

この文脈の中で、パウロは今日の箇所を書きました。 彼のポイントは、私たちがどのようにキリストのからだの一致を保つことができるかということです。

25節から、パウロはそのことを強調しています。

ですから、あなたがたは偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。私たちは互いに、からだの一部分なのです。(エペソ人への手紙4:25)

真実を語らなければ、一致を保つことはできないでしょう。 友人関係でも、結婚関係でも、教会の関係でも、それは同じです。

時々、私たちは真実を軽く考えすぎます。例えば、私たちは簡単に罪のない嘘を語ります。(それは本当に罪のないものでしょうか。)

また、兄弟や姉妹が罪を犯したとき、その人の反応を恐れて何も言わないことがあります。

しかし、15節によれば、私たちは愛を持って真理を語るべきです。 その目的は、相手が成長することです。

ところで、真理を語るとき、「愛を持って」ということは非常に大切です。 ある人は自分の正直さを自慢しますが、彼らの目的は相手を建て上げることではなく、むしろ相手を取り壊そうとすることです。

もしそのような態度であるならば、黙っていた方がよいでしょう。 けれども、神様の前で「私はこの人を愛し、建て上げたい」と言えるなら、どうぞ真実を語ってください。

そして、パウロはこう言います。

怒っても、罪を犯してはなりません。憤ったままで日が暮れるようであってはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。(26-27)

私たちは怒ってもよいのです。 けれども、その怒りをどのように処理するでしょうか。

あなたはただ相手に怒鳴るでしょうか。 あるいは、その怒りを静かに心に留め、苦々しい根を張るでしょうか。

もしそうすれば、あなたは悪魔に自分を操る機会を与えることになります。

しかし、もう一度言います。 パウロは主に教会に向けて語っています。

もし教会のメンバーが心の中で怒りを持ち続けるなら、サタンはその機会を利用して教会を分裂させ、壊そうとするのです。

そして、パウロは続けて言います。

盗みをしている者は、もう盗んではいけません。むしろ、困っている人に分け与えるため、自分の手で正しい仕事をし、労苦して働きなさい。(28)

その言葉から、重要な原則を見ることができます。 単に相手を傷つけることをやめるだけでは不十分なのです。 私たちは相手を建て上げなくてはなりません。

なぜなら、私たちの目的は、キリストのからだを建て上げることだからです。

次の記事でこの話を続けますが、その前に少し考えてみてください。

私たちの行動によって、キリストのからだの一致を保っているでしょうか。 あるいは、私たちの行動によって、キリストのからだを分裂させてしまっているでしょうか。

私たちはキリストのからだを建て上げているでしょうか。 それとも、キリストのからだを取り壊しているでしょうか。

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ヨハネの福音書 ヨハネ17章

私たちに対するイエス様の望み

クリスチャンたちは本当に、イエス様が私たちに対して抱かれる望みを理解しているでしょうか。

以前の記事では、イエス様が私たちとの親しい関係を望まれていることを見ました。永遠の命とは、イエス様に近づき、イエス様を知り、イエス様に知られることです。

けれども、イエス様はそれだけではなく、他にも望まれることがあります。イエス様は、私たちが兄弟姉妹と共に一つとなることを望んでおられます。

イエス様はこのように祈られました。

わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。

父よ。あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちのうちにいるようにしてください。あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるようになるためです。

またわたしは、あなたが下さった栄光を彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。

わたしは彼らのうちにいて、あなたはわたしのうちにおられます。彼らが完全に一つになるためです。また、あなたがわたしを遣わされたことと、わたしを愛されたように彼らも愛されたことを、世が知るためです。(ヨハネの福音書17:20-23)

イエス様は、私たちがイエス様と天の父のような関係を持つことを望まれます。イエス様と天の父が一つであるように、私たちも一つとなるべきです。

とはいえ、それはどういう意味なのでしょうか。

一つの意味は、目的の一致です。私たちが同じ目的を持ち、共に働くことです。その目的とは、福音を伝えることにほかなりません。

もう一つの意味は、互いに相手を自分より優れた者と考えることです。私たちは自分のことだけでなく、他の人のことも顧みます。(ピリピ2:3-4)

しかし、多くの場合、私たちはそのように生きていません。

そのため、ノンクリスチャンが私たちの教会に足を踏み入れると、そこには争いがあり、苦々しい心が見られることがあります。彼らはそのようなものを教会の外でも目にすることができるため、落胆し、すぐに教会を離れてしまいます。

それでも、当の教会の人々は自分のことで精いっぱいで、何が起こったのか気づいていないかもしれません。

イエス様は、それをご覧になると、深く悲しまれるのです。

周りの人々に対するあなたの行動や態度によって、どれほどイエス様を悲しませているでしょうか。あなたの苦々しい思いや、恨み、陰口を持つ心によって、イエス様はどれほど嘆かれるでしょうか。

その結果、イエス様だけでなく、私たち自身も苦しむことになります。

さらに、ノンクリスチャンは暗闇の中でつまずき続けます。なぜなら、彼らは教会の中に光がないと感じるからです。

あなたはどうでしょうか。あなたと他の教会のメンバーは、本当に一つとなっているでしょうか。