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ヨシュア記のデボーション

一心に神を愛する

今日の箇所を読んだとき、私には「一心」、つまり「一心に神を愛する」という言葉が思い浮かびました。

夫か妻がたくさんの恋人を持つ配偶者を許さないように、神様は二心のある人を受け入れられません。

それでも、私たちの心はすぐにさまよってしまいます。

イスラエル人のように、私たちが主に仕えると約束するのは簡単なことです。

ペテロのように、イエス様に対する忠誠を誓うのは簡単なことです。(マタイ26:33-35)

でも、多くの場合、この世の思い煩いや、富の惑わし、そのほかのいろいろな欲望が入り込んで、イエス様に対する愛を塞いでしまいます。(マルコ4:19)

主よ。あなたは私の気まぐれでさまよっている心をよく知っておられます。

私があなたの御名を恐れるように、私の心を一つにしてください。(詩篇86:11)

あなたの恵みは私に対して大きなものです。(詩篇86:13)

私は真実でなくても、あなたは常に真実でおられます。(第二テモテ2:13)

あなたを一心に愛さずにはいられないほど、私の心があなたの愛で満たされるようにしてください。

イエス様のみ名によって祈ります。アーメン。

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エゼキエル書

表裏のある人

だれも表裏のある人を好みません。そして、神様もそのような人々を嫌われます。

この箇所では、イスラエルの長老たちがエゼキエルのもとを訪れ、神様からのメッセージがあるかどうか尋ねました。その時、神様はエゼキエルにこう言われました。

人の子よ。これらの者たちは、自分たちの偶像を心の中に秘め、自分たちを不義に引き込むものを、顔の前に置いている。わたしは、どうして彼らの願いを聞いてやれようか。(エゼキエル14:3)

つまり、「これらの人々が偶像を礼拝しているにもかかわらず、私の心を知りたいと言うのでしょうか。それは許されません。私は答えないのです。」

その時、神様はこう言われました。

それゆえ、イスラエルの家に言え。神である主はこう仰せられる。

悔い改めよ。偶像を捨て去り、すべての忌みきらうべきものをあなたがたの前から遠ざけよ。

イスラエルの家の者でも、イスラエルにいる在留異国人でも、だれでもわたしから離れ、心の中に偶像を秘め、不義に引き込むものを顔の前に置きながら、わたしに尋ね求めようと、預言者のところに来る者には、主であるわたしが答えよう。

わたしがそのような者から顔をそむけ、彼をしるしとし、語りぐさとして、わたしの民のうちから彼を断ち滅ぼすとき、あなたがたは、わたしが主であることを知ろう。(エゼキエル書14:6-8)

あなたはどうでしょうか。神様のみ心を知りたいと言いながら、この世の物をあなたの神々にしてはいないでしょうか。

あるいは、あなたの未来を知るために、占い師に相談してはいないでしょうか。

神様を本当に求めるのであれば、そのような心の状態ではいけません。

神様は私たちに一心を求めておられます。神様を一心に求めなければ、神様は私たちを受け入れてくださいません。

あなたの心はどのような状態でしょうか。