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エペソ人への手紙

一致して祈り合う

エペソ人への手紙についての最後の記事を書くにあたって、 あらためて、この手紙の中心的なテーマを皆さんに思い起こしていただきたいと思います。

――そうです、もう覚えておられるでしょう。 そのテーマは、「一致」です。

パウロは、霊的な戦いについて語り、 私たちがどんな武具を身につけるべきかを教えました。

そしてその直後、パウロはこう語っています

あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのために、目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。

また、私のためにも、私が口を開くときに語るべきことばが与えられて、福音の奥義を大胆に知らせることができるように、祈ってください。私はこの福音のために、鎖につながれながらも使節の務めを果たしています。

宣べ伝える際、語るべきことを大胆に語れるように、祈ってください。(エペソ人への手紙6:18-20)

もちろん、私たちは神様の武具を身につけるべきですが、 その力がどこから来るのかを忘れてはなりません。 その力は、私たち自身からではなく、神様から来るのです。

ですから、私たちはあらゆる祈りと願いをもって、 どんなときにも御霊によって祈るべきです。

では、「御霊によって祈る」とはどういう意味でしょうか。 それは、御霊の導きに従って祈るということです。 祈りの初めに、 「今日、どう祈ればよいでしょうか」と御霊に尋ねるのが良いでしょう。

しかし、多くの場合、私たちは自分の思いだけで祈ってしまいます。 そのため、神様がどのように祈ってほしいかを知らずに終えてしまうのです。

ですから、祈るときには、 聖霊様の導きに心を向けましょう。 聖霊様の祈りを、あなた自身の祈りとしましょう。

良い時にも、悪い時にも、祈りましょう。

あらゆる祈りをもって祈りましょう。 感謝の祈り。賛美の祈り。罪の告白の祈り。 そして、自分自身の必要のためにも祈りましょう。

また、共に立って祈りましょう。 もう一度言います。私たちは一人で この霊的な戦いを戦ってはならないのです。 この戦いのただ中で、私たちは「一致」を守らなければなりません。 だからこそ、互いのために祈り合いましょう。 そして、ともに祈りましょう。

特に、この霊的な戦いの最前線に立つ人々のために祈るべきです。 すなわち、福音を宣べ伝える者たちのために祈りましょう。

神様が彼らにふさわしい言葉を与えてくださるように祈りましょう。 御霊によって、彼らに力が与えられるように祈りましょう。 そして、その語られる言葉を通して、多くの人々の心が変えられるように祈りましょう。

もしあなたが今、最前線で戦っているのなら、 あなたは決して一人ではないことを忘れないでください。 パウロのように、ほかのクリスチャンたちの祈りを求めてください。

自分の経験や思いを分かち合ってください。 自分だけで頑張る必要はありません。 私たちは互いになくてはならない存在なのです。

ですから、あなたがどこにいても―― 共に立ちましょう。 そのとき、私たちは勝利を得るのです。

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エペソ人への手紙

共に立ち、サタンに対抗する

私たちは敵国に住んでいます。 あなたがそれを知っているかどうかは分かりません。 でも、それは真実です。

パウロはこう言います。

私たちの格闘は血肉に対するものではなく、支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊に対するものです。(エペソ人の手紙6:12)

「この暗闇の世界。」 言い換えれば、「敵が支配しているこの世界。」

けれども、その敵は人間ではありません。 それらは霊的な存在、すなわちサタンや悪霊たちです。 彼らはこの世界を支配しています。 だからこそ、この世界は“暗闇の世界”なのです。

その現実は、私たちにもはっきりと見えてきます。 人々の道徳は次第に崩れてきています。 かつて善とされたことが、今では悪と見なされ、 逆に、かつて悪とされたことが、今では善と見なされています。

このような状況について、預言者イザヤは語りました

わざわいだ。悪を善、善を悪と言う者たち。彼らは闇を光、光を闇とし、苦みを甘み、甘みを苦みとする。(イザヤ書5:20)

パウロもまた、同様のことを語りました。

というのは、人々が健全な教えに耐えられなくなり、耳に心地よい話を聞こうと、自分の好みにしたがって自分たちのために教師を寄せ集め(ます)。(第2テモテ4:3)

そのときは、すでに来ています。 それこそが、今私たちが生きている世界です。 だからこそ、パウロは私たちに訓戒を与えるのです。

ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、一切を成し遂げて堅く立つことができるように、神のすべての武具を取りなさい。(エペソ人への手紙6:13)

「邪悪な日」とは、どういう意味でしょうか。 おそらく、パウロは迫害について語っているのでしょう。

ある時、人々はもはやキリスト教を受け入れなくなります。 アメリカでは、実際に迫害を受けているクリスチャンたちがいます。 カナダでは、「憎悪犯罪法」によって、ラジオ番組やYouTubeなどで クリスチャンたちの声が検閲されることもあるのです。

では、クリスチャンたちはどのように戦うべきでしょうか。

私たちは、自分の力で戦うのではありません。 パウロはこう語っています。

主にあって、その大能の力によって強められなさい。(10)

私たちは、銃や政治、議論、その他の人間的な武器に頼ってはなりません。 むしろ、パウロはこう語ります。

悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神のすべての武具を身に着けなさい。(11)

私はもう一度言います。 私たちは人間と戦っているのではありません。 私たちは、この暗闇の世界の霊的な力と戦っているのです。

そして、もう一つのことを改めて強調したいと思います。 パウロは個々のクリスチャンに対して語っているのではなく、 教会全体に語りかけています。

もちろん、個々のクリスチャンも神の武具を身につけ、 悪魔の策略に立ち向かうべきです。 しかし、それは教会の一人ひとりが協力して行うべきことなのです。

パウロの言葉を言い換えると、こうなります―― 「皆さん。あなたがた全員が、悪魔の策略に立ち向かうことができるように、 神のすべての武具を身につけなさい。」

イエス様はこう言われました。

どんな国でも内輪もめしたら荒れすたれ、家も内輪で争えば倒れます。(ルカ11:17)

もし教会が内輪で争っているなら、 サタンに対して堅く立つことはできません。 だからこそ、「一致」というテーマはこの箇所でも極めて重要なのです。

神様は、私たちをキリストのもとに一つとされました。 けれども、サタンは私たちを分裂させようとします。 内輪で争っている教会は、団結している教会よりも、 はるかに壊れやすいのです。

同じように、一人で立っているクリスチャンは、 支え合い、守り合っているクリスチャンたちよりも、 攻撃されやすく、滅ぼされやすい存在です。

ですから、この暗闇の世界と向き合うとき、私たちはどのように戦うのでしょうか。 分裂した教会としてでしょうか。 弱体化した教会としてでしょうか。 自分の力で、人間的な武器を用いて戦うのでしょうか。

それとも、私たちは一致して、主の力によって、 霊的な武具を身につけて戦うのでしょうか。