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ネヘミヤ記

私たちの不実さ、神様の恵み

この箇所では、ユダヤ人たちは神様の前に来て、自分の罪を告白しました。その祈りには、彼らの不実さと神様の恵みが表れています。

その祈りの初めに、彼らは神様が世を造られたことを思い出し、また、神様が新しい国を始めるためにアブラハムを選ばれたことを思い出しました。

そして、彼らは先祖がエジプトで奴隷だったけれど、神様が彼らを救い出してくださり、砂漠で導かれたことを思い出しました。

砂漠で、神様はいろいろな奇跡を行われましたが、その先祖たちはエジプトに戻りたがっていました。それに、本当の神様を礼拝せずに、彼らは偶像を作り、その偶像を神と呼びました。

それでも、神様は彼らに恵みを与えてくださいました。つまり、神様は彼らに水とパンを与えてくださり、彼らを導き続けられました。

そして、神様は先祖を素晴らしい土地カナンに導かれました。けれども、彼らは再び神様に背を向け、神様の預言者たちを殺し、偶像を礼拝しました。

だから、神様は彼らを敵に渡されました。しかし、彼らが苦しんで悔い改めると、神様は恵みによって彼らを救い出されました。ところが、彼らはすぐに自分の罪に戻り、結局バビロンに追放されました。

だから、ユダヤ人はこう祈りました。

「ご覧ください。私たちは今、奴隷です。あなたが私たちの先祖に与えて、その実りと、その良い物を食べるようにされたこの地で、ご覧ください、私たちは奴隷です。

私たちが罪を犯したので、あなたは私たちの上に王たちを立てられましたが、その王たちのために、この地は多くの収穫を与えています。

彼らは私たちのからだと、私たちの家畜を思いどおりに支配しております。それで私たちは非常な苦しみの中におります。」(ネヘミヤ記9:36-37)

彼らは悔い改めた心を持って、もう一度、神様の民として神様と契約を結びたいと願いました。彼らはこう言いました。

これらすべてのことのゆえに、私たちは堅い盟約を結び、それを書きしるした。そして、私たちのつかさたち、レビ人たち、祭司たちはそれに印を押した。(38)

私はこの話を読んだ時、神様の恵みは本当に不思議なものだと思いました。もし私が神様だったら、きっと彼らを諦めていたと思います。けれども、神様は決してそうされませんでした。

それに、神様はご自身が呼ばれた私たちを決して諦められません。

そのことを考えると、私は本当に嬉しくなります。なぜなら、イスラエル人のように、私は不実だからです。私の罪によって私は倒れることがありますし、私の心を堅くして、いろいろな悪いことをしてしまいます。

しかし、私は不実であるにもかかわらず、神様はいつも忠実な方です。また、神様は決して私を諦められません。そのことを心から感謝します。

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ホセア書

不実

この世では、多くの人々は夫が妻に不実になり、妻も夫に不実になることが当たり前だと考えています。

けれども、そのように考えると、不倫が結婚にどれほど破壊的な影響を与えるかが分からなくなります。また、あなたの伴侶をどれほど深く傷つけるかが見えなくなります。

私たちの神様との関係も同じです。神様は私たちとの関係を結婚に例えられます。

クリスチャンである私たちはキリストの花嫁です。そのため、私たちが神様に不実であれば、神様を深く傷つけ、その関係に大きな打撃を与えることになります。

この箇所で神様はそれを指摘されます。何度も、神様はイスラエルに対するご自身の愛と忠実さを語られました。

例えば、イスラエル人の祖先であるヤコブが詐欺師であり、神様と戦ったにもかかわらず、神様はヤコブに愛と憐れみを注がれました。また、神様はイスラエル人をエジプトから導き出し、彼らが砂漠を越える時にモーセを通して彼らを養い、世話されたのです。

しかし、イスラエル人は自分たちの土地に定着して力を持つようになると、高慢になりました。彼らは神様に不実になり、自ら作った偶像を礼拝し始めました。

時間が経つにつれて、彼らの堕落はますます深刻になり、最もひどいのは、自分の子供たちをいけにえとして捧げたことです。

さらに、敵が彼らを攻撃すると、彼らは神様に立ち返らず、他の国々と同盟を結びました。

神様がイスラエルを責められる言葉を読むと、その深い痛みが伝わってきます。神様は裏切られた夫のように悲しまれました。

わたしは、エフライムの偽りと、イスラエルの家の欺きで、取り囲まれている。(ホセア書11:12)

ヤコブが妻を得るためにそのお父さんに代価を支払ったように、神様もイスラエルのために代価を支払われました。また、神様はずっとイスラエル人を世話されました。

しかし、それにもかかわらず、イスラエルは主の怒りを引き起こしました。(12:12-14)

そのため、神様は将来の裁きについて警告されました。

神様は、「その裁きが来るとき、救いは来ない」と警告されたのです。

彼らの王は彼らを救うことができず、神様も彼らを救われません。なぜなら、彼らは自分の「夫」であり救い主である神様から離れたからです。

だから、神様は言われました

わたしはよみの力から、彼らを解き放ち、彼らを死から贖おう。(13:14a)

この箇所はヘブル語から翻訳するのが少し難しいです。そのため、英語の聖書には二つの翻訳があります。

一つは、この日本語の翻訳と同じ意味を持っています。けれども、もう一つの翻訳はより優れており、それは以下のようなものです。

わたしはよみの力から、彼らを解き放ちましょうか。彼らを死から贖いましょうか。

そして、神様の答えは、「違います。そのようにはしない。」でした。

そのため、神様はこう言われました。

死よ。おまえのとげはどこにあるのか。よみよ。おまえの針はどこにあるのか。あわれみはわたしの目から隠されている。(13:14b)

パウロは第一コリント15章でこの箇所を引用し、神様がキリストの死に対する勝利によって、いつか死のとげと墓の針を取り除かれることを教えました。

ところが、この箇所ではホセアは全く異なるメッセージを伝えています。

すなわち、神様は「死よ、お前のとげはどこにあるのか。よみよ(すなわち墓)、お前の針はどこにあるのか」と言い、死のとげと墓の針をイスラエル人の上に落とすように呼びかけました。

なぜでしょうか。それは、彼らが神に不実だったからです。

神様は彼らをまだ愛しておられたでしょうか。もちろんです。最終的に彼らを回復されたでしょうか。それもその通りです。なぜなら、私たちが不実であっても、神様は忠実な方だからです。

不実があっても結婚が続く場合があります。しかし、一人が不実であれば、相手は深く傷つき、苦しみます。それだけでなく、不実な人自身も最終的に苦しむことになるのです。

私たちの神様との関係も同じです。イスラエルはこの重要な教訓を学びました。

私たちは、自分が不実であるとき、どれほど神様を傷つけるかを考えるべきです。私たちはこの世の物をどれほど愛し求め、神様の愛と忠実さをどれほど踏みにじっているのでしょうか。

私たちが不実で夫や妻を傷つけるのと同じように、神様に対して不実であれば、神様も深く傷つかれるのです。

そのような行動を避けましょう。そして、いつも忠実な神様に対して、私たちも忠実であり続けましょう。

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ホセア書

祭司たちは祭司として振る舞わないと

「どうしてこの世界のモラルはだんだん悪くなっているのでしょうか。どこに行っても、誠実さがなく、愛がなく、誰も神様を認めません。殺人や姦淫や嘘が蔓延しています。全てのモラルの境界線は超えられてしまいました。」

このような言葉を聞いたことがありますか。ホセアは約2700年前に同じことを語っていました。時が経っても、何も変わらないのですね。

神様は全てのイスラエル人を裁かれましたが、特に祭司たちを責められました。彼らは神様を礼拝すると言っていましたが、実際にはヤロブアム1世の金の子牛を通して神様を「礼拝」していたのです。おそらく彼らはバアルも礼拝し始めていたのでしょう。

だから、7節にこう書いてあります。

彼ら(つまり祭司たち)はふえるにしたがって、ますます、わたしに罪を犯した。わたしは彼らの栄光を恥に変える。(ホセア書4:7)

だから、神様についての知識は失われ、または、その知識が歪められてしまいました。そこで、神様は祭司たちにこう言われました。

わたしの民は知識がないので滅ぼされる。あなたが知識を退けたので、わたしはあなたを退けて、わたしの祭司としない。(6節)

そして、神様はこう言われました。

だから、民も祭司も同じようになる。わたしはその行ないに報い、そのわざの仕返しをする。(9節)

神様は今でも、このようなことを言われるかもしれません。しかし、私は悪い牧師や祭司について話しているのではありません。クリスチャンについて話しています。私たち全員が神様の祭司なのです。(第一ペテロ2:9)

もし私たちが霊的な不貞を犯すとしたら、つまり、自分自身のために生きたり、この世のものが私たちの神になったりしたら、どのような祭司になるでしょうか。私たちはこの世界に良い影響を全く与えられません。

私たちがこの世界に神様についての本当の知識を与えず、神様の教えを妥協したとしたら、この世の悲惨な状態を見ても驚くことができるでしょうか。

この世の人々は地獄に行くかもしれませんが、もし私たちが祭司として不忠であったならば、神様は「これはあなたのせいです。どうしてあなたが私の祭司でありながら不忠だったのでしょうか」と尋ねられるでしょう。

あなたはどのような祭司でしょうか。