イエス様はその部屋にいる人々をご覧になったとき、どのような人々を見られたのでしょうか。
そのパリサイ人はさまざまな人を招待しましたが、おそらくイエス様以外の招待客は裕福な人々だったのではないでしょうか。少なくとも、彼らは仕事が順調で社会的に成功しているように見えたかもしれません。
そこで、イエス様は彼らにこう言われました。
昼食や夕食のふるまいをするなら、友人、兄弟、親族、近所の金持ちなどを呼んではいけません。でないと、今度は彼らがあなたを招いて、お返しすることになるからです。祝宴を催す場合には、
むしろ、貧しい者、からだの不自由な者、足のなえた者、盲人たちを招きなさい。その人たちはお返しができないので、あなたは幸いです。義人の復活のときお返しを受けるからです。(ルカの福音書14:12-14)
このパリサイ人は施しをしていたことでしょう。しかし、おそらく貧しい人を食事に誘うことは決してなかったのではないでしょうか。もしかすると、そのような考えさえ彼の心に浮かばなかったのかもしれません。
その理由は何でしょうか。彼は友人や社会的に地位の高い人々に感心されたいと思っていたからでしょう。苦しんでいる人々を助けるよりも、友人と楽しむことや自分の評判を築くことに興味があったのかもしれません。
多くのクリスチャンは十一献金を捧げますが、残りの収入は自分自身のために使っていることが多いです。私たちは十一献金を捧げたことで、神様への義務を果たしたと感じるかもしれません。
けれども、神様は私たちに気前の良い人になることを求めておられます。それは教会だけでなく、私たちの日常生活においても同様です。そして、私たちが誰かのニーズを満たすとき、神様は私たちに祝福を与えてくださいます。
もう一つ考えるべきことがあります。それは、私たちが与えるときに、恩返しを期待するかどうかということです。恩返しを期待せず、神様が私たちに与えてくださったものを惜しみなく周囲に分け与えられるでしょうか。
イエス様はそのような与える姿勢を神様が祝福されることを教えられました。
私自身、与えることが難しいと感じることがあります。しかし、もしイエス様のようになりたいのであれば、私たちはイエス様のように与えることを学ぶべきです。恩返しを期待せず、犠牲的に与え、苦しんでいる人々を助けるべきです。
あなたはそのように周囲の人々に与えることができるでしょうか。
