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ローマ人への手紙

人々が私たちを憎むとき

最初のクリスチャンたちは、この世の憎しみや迫害に直面しました。2000年後の今も、クリスチャンは同じ問題に向き合っています。

だから、パウロの言葉は今もなおクリスチャンにとって重要なのです。パウロはこう語りました。

あなたがたを迫害する者たちを祝福しなさい。祝福すべきであって、呪ってはいけません。(ローマ人への手紙12:14)

イエス様は、山上の垂訓で同じような教えを語られました。

自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。(マタイ5:44)

イエス様はご自身の言葉を実践されました。十字架の上で、イエス様はご自身の敵のために祈られました。

父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。(ルカ23:34)

私たちはイエス様の模範に従うべきです。もし私たちが苦々しい思いを持ち続けるなら、その思いは私たちの心を蝕み、やがて私たち自身を滅ぼしてしまいます。

だから、パウロは私たちに語ります。「その苦々しい思いや恨みを手放しなさい。むしろ、相手のために祈りなさい。」

そして、パウロはさらにこう語ります。

だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人が良いと思うことを行うように心がけなさい。(ローマ人への手紙12:17)

もちろん、パウロは私たちに対して、神様の律法に反する世の道徳に従うべきだとは言いません。

むしろ、パウロが語ったのは、たとえ迫害されても、世の考え方が神様の律法に反しない限り、すべての人が良いと認めることを行いなさいということです。

だから、私たちは苦々しい思いや怒り、報復の心を捨て去るべきです。

そして、パウロはさらにこう語ります。

自分に関することについては、できる限り、すべての人と平和を保ちなさい。(18)

時には、私たちは相手の意見に同意できないことがあります。しかし、そのようなときこそ、謙遜な態度を持つべきです。

時には、私たちは相手があまりにも傷つきやすいと感じることがあります。それでも、もし私たちの言葉や行為によって相手を傷つけてしまったなら、その人に誠実に謝るべきです。

また、神様の言葉を守りながらも、私たちは妥協点を見つける知恵を持つべきです。

例えば、私のクリスチャンの友人たちは家族の仏教の葬儀には参加しませんが、その前後でできる限り家族に仕えます。

そして、最後にパウロはこう語ります。

愛する者たち、自分で復讐してはいけません。神の怒りにゆだねなさい。こう書かれているからです。

「復讐はわたしのもの。わたしが報復する。」主はそう言われます。

次のようにも書かれています。

「もしあなたの敵が飢えているなら食べさせ、渇いているなら飲ませよ。なぜなら、こうしてあなたは彼の頭上に燃える炭火を積むことになるからだ。」(19-20)

簡単に言えば、最終的な正義は私たちの責任ではなく、神様の責任です。神様はすべての人々とその行いを正しく裁かれます。

だから、悪に悪で報いることなく、苦々しい思いを抱え続けないでください。そのような思いは、やがてあなた自身を蝕んでしまいます。

むしろ、イエス様の模範に倣い、イエス様の愛を彼らに示しましょう。

もしかすると、あなたの反応によって、彼らはクリスチャンになるかもしれません。ステパノの祈りはどのようにパウロに影響を与えたでしょうか。(使徒の働き 7:60)

そして、パウロはこの教えを次のようにまとめます。

悪に負けてはいけません。むしろ、善をもって悪に打ち勝ちなさい。(21)