どうやって、私たちの主を喜ばせることができるでしょうか。
ソロモンはこう書きました。
主の御目はどこにでもあり、悪人と善人とを見張っている。(箴言15:3)
私たちは神様から隠れることができません。神様は私たちの行動を見るだけではなく、私たちの心も見ておられます。
だから、ソロモンはこう言いました。
よみと滅びの淵とは主の前にある。人の子らの心はなおさらのこと。(11)
要するに、神様が地獄でも見ることができるなら、私たちの心も神様の前では開いている本のようなものです。
だから、神様を喜ばせたいなら、正しい行動だけでは足りません。私たちの全ての心を捧げなくてはなりません。なぜなら、神様は私たちの動機も見ておられ、気にされるからです。
だから、ソロモンはこう言いました。
悪者のいけにえは主に忌みきらわれる。正しい者の祈りは主に喜ばれる。
主は悪者の行ないを忌みきらい、義を追い求める者を愛する。(8-9)
あなたはどんな「いけにえ」を神様に捧げるでしょうか。
例えば、毎週の日曜日、あなたの時間を捧げて教会に行くでしょうか。けれども、月曜日から土曜日まではどうでしょうか。その日にも、主を喜ばせるためにあなたの時間を捧げるでしょうか。
あなたは、十一献金を捧げるかもしれません。また、チャリティーに寄付するかもしれません。けれども、残りのお金はどうでしょうか。主を喜ばせるためにお金を使うでしょうか。
本当に神様を愛していないなら、神様に対してあなたのいけにえや捧げものは意味がありません。
だから、ソロモンはこれも書きました。
悪人の計画は主に忌みきらわれる。親切なことばは、きよい。(26)
この瞬間、神様があなたの心を見たら、何を見るでしょうか。あなたは心を尽くして、神様を喜ばせようと思っているでしょうか。それとも、自分自身を喜ばせようと思っているでしょうか。
また、神様があなたを懲らしめる時、あなたはどのように反応するでしょうか。あなたはへりくだって、その懲らしめを受け入れるでしょうか。ソロモンは私たちに忠告します。
愚か者は自分の父の訓戒を侮る。叱責を大事にする者は利口になる。
また、
いのちに至る叱責を聞く耳のある者は、知恵のある者の間に宿る。
訓戒を無視する者は自分のいのちをないがしろにする。
叱責を聞き入れる者は思慮を得る。主を恐れることは知恵の訓戒である。謙遜は栄誉に先立つ。(31-33)
だから、あなたが神様を喜ばせたいなら、二つのことを覚えておきましょう。
一つ目は、主を喜ばせるのは、一週間に一度のことではないということです。アルバイトのクリスチャンになるのは不可能です。
あなたはクリスチャンかもしれませんし、クリスチャンじゃないかもしれません。しかし、中途半端なクリスチャンという人は存在しません。
神様は私たちの一部だけを望んでおられるのではなく、私たちのすべてを望んでおられます。
二つ目は、神様が私たちを懲らしめる時、私たちはその訓戒をへりくだって受け入れなくてはならないことです。
そうすれば、私たちは神様を喜ばせることができます。
