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詩篇

主の御業に思いを巡らす

私たちが悪いことについて考え続けるのは簡単なことです。私たちは自分の問題を思い出して、その問題のことしか考えられなくなります。

そして、私たちにその問題を解決する力がないなら、私たちのストレスは増します。私には何度もそんな経験があります。

でも、詩人は私たちが他のことについて考えるように励まします。

ハレルヤ。私は心を尽くして主に感謝しよう。直ぐな人のつどいと集会において。

主のみわざは偉大で、みわざを喜ぶすべての人々に尋ね求められる。

そのみわざは尊厳と威光。その義は永遠に堅く立つ。(詩篇111:1-3)

この箇所では、詩人は神様がどんな方であるか、また神様が何をしたか考えるように私たちを励まします。

神様はどんな方でしょうか。神様は義の神だし(3)、情け深く、あわれみ深い神です。(4)。また、神様の戒めは確かです。(7)

神様は何をしたでしょうか。イスラエル人を憐れんで、エジプトから彼らを贖い、砂漠で彼らのニーズに備え(5)、彼らに自分の土地を与えて、国として確立しました(6)。

そして、イスラエルの民の罪のゆえに追放された時、神様は彼らをバビロンから贖ってくださいました。(9)

それに、神様は私たちのためにもそうして下さいます。神様は私たちのニーズに備え、私たちを憐れみ、サタンの国から私たちを贖い、私たちを神様の民にし、約束の地に導いてくださいます。

私たちの命は一時的なものです。だから、私たちが天国に行くと、この世の苦しみとトラブルをすぐに忘れます。

それなら、どうして、私たちは心配しているでしょうか。心配すると、私たちはストレスを溜めるだけです。

だから、詩人はこう書きます。

主を恐れることは、知恵の初め。(詩篇111:10)

私たちが神様に畏敬の念を抱くとき、この世の一時的なトラブルは小さく見えるようになります。

私たちが神様がどんな方であるか、また、神様が何をされたか思いを巡らすと、私たちは心配しなくて良いと悟ります。

それこそが知恵ではありませんか。