カテゴリー
詩篇

幸いな道

それでは、詩篇を始めます。実は、すでにいくつかの詩篇について書きました。つまり、ダビデの人生に関係がある詩篇についてすでに書きました。

だから、もし詩篇がスキップされたと思うなら、そのことを思い出してください。そして、詩篇のためにメニューを作ったので、どうぞ使ってください。

詩篇1篇で、詩人は幸いな道について話します。どのように神様の祝福を見つけられるでしょうか。

私たちはどこを歩くか、どこに座るか、どこに立つか気を付けなくてはなりません。

詩人はこう書きました。

幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。(詩篇1:1)

つまり、あなたはだれと付き合うでしょうか。誰の模範に従っているでしょうか。どの道に立っているでしょうか。

もちろん、私たちはすべてのノンクリスチャンを避けることはできません。それは無理ですし、彼らを避けると、彼らにイエス様について話せなくなってしまいます。

けれども、私たちは自分自身にこの質問をするべきです。

「彼らは私たちに影響を与えているだろうか。もしくは、私は彼らに影響を与えているだろうか。

私たちは彼らの態度を取っているだろうか。もしくは、彼らは私たちの態度を取っているだろうか。

私たちは彼らの道を行き始めているだろうか。もしくは、彼らは私たちの道を歩き始めているだろうか。」

この詩人のポイントは、私たちが不敬虔な人に影響されるべきではない、ということです。むしろ、私たちは神様の御言葉に影響されるべきです。詩人はこう書きました。

まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。(2)

毎日、私たちは神様の言葉に浸るべきです。できれば、私たちは神様の言葉を読むべきです。

散歩するとき、電車に乗る時、運転するとき、家事をするとき、私たちは神様が教えていることを思い出し、そのことをもっと深く考えるべきです。

また、聖書を読むとき、私たちは「神様、あなたは私に何を言っておられますか」と訊くべきです。

そうすれば、私たちは、

水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。(3)

その木が水をもらうために、わざとその水路の近くに植えられました。その木は水路の近くにあるので、時が来ると実がなり、栄えます。

とはいえ、私たちは決して問題がないわけではありません。ヨブは、この詩篇の人のように生きましたが、彼はかなり苦しんでいました。

しかし、6節には、こう書いてあります。

まことに、主は、正しい者の道を知っておられる。(6)

時々、ヨブは神様が彼を捨てたと思いましたが、神様は決して彼を捨てませんでした。神様はまだヨブを見守っておられました。サタンはもっと酷いことをしたかったのです。サタンはヨブを殺したかったけど、神様はそれを許しませんでした。

結局、ヨブはその水路のそばにいたので、回復されて、もう一度実を結びました。

だから、私たちはどこに立つか、どこに座るか、どこを歩くか、気を付けましょう。そして、私たちに本当の命を与える神様の霊で満たされましょう。