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コリント人への手紙第二

自分自身と周りの人々をどのように判断するか

この箇所では、パウロは依然として自分を軽蔑するコリントの人々に向き合っています。

彼らはパウロを見て、その外見から判断しました。どうやら、パウロはそれほど容姿端麗ではなく、話し方も特に印象的ではなかったようです。

そのため、あるコリントの人々はパウロについてこう言いました。

「パウロの手紙は重みがあって力強いが、実際に会ってみると弱々しく、話は大したことはない。」(コリント人への手紙第二10:10)

しかし、パウロは彼らに言いました。「あなたたちはうわべのことだけを見ています。」(7)

パウロは、クリスチャンとして、またキリストのしもべとして、立派な人物でした。 それでも、彼らはパウロの外見や話し方にばかり注目しすぎて、その本質を悟ることができなかったのです。 その結果、彼らはパウロとその弱さを軽蔑したのです。

こうして、パウロは彼らに警告を与えました。

そのような人は承知していなさい。私たちは、離れて書く手紙のことばどおりの者として、そちらに行ってもふるまいます。(11)

要するに、「私たちはただ言葉を並べる者ではありません。私たちは自分の言葉に従って行動します。私たちがコリントに行けば、あなたたちがまだ悔い改めていないことを知るでしょう。」

私たちは人を見るとき、外見で判断してはなりません。なぜなら、彼らはその見た目以上に優れた人であるかもしれないからです。そして、神様の力によって、私たちの予想を超えて彼らはさまざまな奉仕をすることができるでしょう。

しかし、もし私たちが彼らの外見にのみ注目し、彼らの弱さを軽蔑するなら、その人の本質を見損なうことになります。

さらに、私たちは神様の似姿として造られた人を軽んじてしまうことになります。そして、神様の目的のために造られた人を軽蔑してしまうことにもなります。神様はそのような態度を軽くは見られません。

また、私たちは自分自身をどのように評価すべきかを考える必要があります。

パウロは自分を批判する者についてこう言いました。

彼らは自分たちの間で自分自身を量ったり、互いを比較し合ったりしていますが、愚かなことです。(12)

要するに、自分自身を周りの人々と比べたり、評価したりするのは愚かなことです。なぜでしょうか。それは、私たちが人間的な基準ではなく、神様の基準によって測られるからです。

もし私たちが人間的な基準で自分自身を測るなら、神様が定めた的を大きく外してしまうでしょう。

さらに、当然のことですが、他人の業績を自分の手柄にしてはいけません。自分が成し遂げたことを誇りすぎるのはよくないですが、他人の業績を自分の手柄にするのはなおさら悪いことです。

パウロはそのようなことを一度も行いませんでした。(13−16)

そして、パウロは私たちが誇るべきことについて語ります。

誇る者は主を誇れ。(17)

パウロが意味したものとは何でしょうか。主は預言者エレミヤを通して、次のように語られました。

誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。わたしは主であり(ます)。(エレミヤ書9:24)

要するに、私たちは自分自身や自分の業績に焦点を当ててはいけません。むしろ、神様に目を向け、神様をもっと深く知ることに努めるべきです。

神様を本当に知っている人には誇るべきことがあります。なぜなら、彼らは真に価値あるものに焦点を当てているからです。彼らは周りの人々を喜ばせることを目的とするのではなく、神様を喜ばせることを最優先にしています。

そのような考え方こそが真の知恵です。

だからこそ、パウロはこう言いました。

自分自身を推薦する人ではなく、主に推薦される人こそ本物です。(18)

あなたはどうでしょうか。周りの人々をどのように判断していますか。彼らの外見だけで判断しているでしょうか。

また、自分自身をどのように評価していますか。周りの人々と比べているでしょうか。それとも、人間的な基準ではなく、神様の基準で測っているでしょうか。