詩篇42~43篇を読むと、私がいつも感動するのは、詩人が単に心に従うのではなく、心を導いていることです。
特に、自分の感情に流されずに、その感情を神様に信頼し、希望を寄せるように導いています。
一方で、詩人はこう言います。「私のたましいは、私のうちでうなだれています。」
けれども、彼はすぐにこう続けます。「それゆえ私は。。。あなたを思い起こします。」(詩篇42:6)
この二つの詩篇では、そのようなパターンを何度も見ることができます。
とりわけ、詩人は、ほぼ同じことを三度繰り返します。
わがたましいよ
なぜおまえはうなだれているのか。
私のうちで思い乱れているのか。神を待ち望め。
私はなおも神をほめたたえる。
御顔の救いを。 (詩篇42:5)
また、
神を待ち望め。
私はなおも神をほめたたえる。
私の救い、私の神を。 (詩篇42:11;43:5)
この乱れた世の中を見るとき、自分の感情に流されて、心が乱れてしまうのは容易なことです。
私はそうしたくありません。むしろ、私の感情と心を、神様に信頼し従うように導きたいのです。
けれども、そのためには、私は神様の助けが必要です。だから、私はこう祈っています。
どうか、あなたの光とまことを送り、
それらが私を導くようにしてください。(詩篇43:3)
