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ルカの福音書のデボーション

どれほど、私の目にはあなたが小さく見えてしまうのでしょうか

主よ、どれほど、私の目にはあなたが小さく見えてしまうのでしょうか。

私の人生には嵐が訪れ、その嵐はとても大きなものに見えます。でも、私が忘れてしまうのは、あなたがその嵐よりも大きな方であるということです。

そして、私はパニックになり、あなたは私に訊かれます。「あなたの信仰はどこにあるのですか。」

主よ、私があなたの偉大さを悟ることができるように助けてください。私があなたの力に畏敬の念を抱くことができるように助けてください。

でも、あなたの力と偉大さを見たとき、ゲラサ人たちのようにあなたを恐れるのではなく、悪霊から解放された人や、癒された女性、復活した少女の両親のように、あなたの慈しみを悟ることができるようにしてください。

私が恐れず、ただあなたを信じることができるように助けてください。(ルカの福音書8:50)

あなたの御名によって祈ります。アーメン。

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詩篇

神様を拒絶すると

詩篇14篇と53篇は大体同じだから、今日それらについて話しましょう。

この詩篇では、人々が神様を拒絶した結果を見ます。

ある人は「神はいない」と言います。

聖書によれば、そのような人は愚か者です。愚か者というのは、「知能のない」という意味ではなく、「堕落している人」という意味です。

なぜなら、私たちが神様を拒絶すると、私たちは堕落に陥れてしまうからです。ダビデはこう書きました。

彼らは腐っており、忌まわしい事を行なっている。善を行なう者はいない。(詩篇14:1)

あなたは、「ちょっと待ってください。神様を信じない良い人も知っています。それに、彼らはあるクリスチャンよりも良い人です。」と言うかもしれません。

それはそうかもしれません。しかし、人を人と比べるのは、人を神様と比べることとは全然違うことです。つまり、神様と比べると、私たちの罪の染みは明らかになります。

例えば、私たちを傷つけた人を心から許せないことがあります。

また、妻や夫に親切にできない時もあります。

さらに、私たちは短気になって、すぐに怒りを爆発させてしまうことがあります。

家や職場では、自己中心な態度を取ってしまうこともあります。

「でも、それは当然なことですよ。私たちは人間だから、誰も完璧じゃないです。」

けれども、もしそのことが当然だと思うなら、それは堕落した考え方です。

神様が人間を初めて造った時、そのことは全然当たり前のことではありませんでした。しかし、人間が神様を拒絶すると、そのことは「当然」になりました。

私たちが罪を当然だと思えば、それは堕落です。

私たちはいろんな言い訳を考えるかもしれませんが、神様の目に私たちは堕落しており、私たちの行動は忌まわしいものです。

私たちが神様から離れている間、私たちの道徳観念は堕落します。もし、私たちが善の源から離れたら、善を知っているとは言えません。

多くの人は神様から離れて、自分の道徳を造ろうと思いますが、神様の目で見ると、その道徳はいつも堕落します。

その結果は?

死です。また、裁きです。いつか、神様はこの世に戻って、この世を裁きます。

その日、神様に属する人は喜びます。けれども、神様を拒絶した人は恐れます。なぜなら、彼らは神様の聖さを見て、自分がどれほど堕落しているかを見ます。そして、彼らの言い訳が虚しいことを理解します。

だから、愚か者にならないでください。神様を認めて、私たちの王として受け入れましょう。ソロモンが言ったように、

主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。(箴言9:10)