詩篇14篇と53篇は大体同じだから、今日それらについて話しましょう。
この詩篇では、人々が神様を拒絶した結果を見ます。
ある人は「神はいない」と言います。
聖書によれば、そのような人は愚か者です。愚か者というのは、「知能のない」という意味ではなく、「堕落している人」という意味です。
なぜなら、私たちが神様を拒絶すると、私たちは堕落に陥れてしまうからです。ダビデはこう書きました。
彼らは腐っており、忌まわしい事を行なっている。善を行なう者はいない。(詩篇14:1)
あなたは、「ちょっと待ってください。神様を信じない良い人も知っています。それに、彼らはあるクリスチャンよりも良い人です。」と言うかもしれません。
それはそうかもしれません。しかし、人を人と比べるのは、人を神様と比べることとは全然違うことです。つまり、神様と比べると、私たちの罪の染みは明らかになります。
例えば、私たちを傷つけた人を心から許せないことがあります。
また、妻や夫に親切にできない時もあります。
さらに、私たちは短気になって、すぐに怒りを爆発させてしまうことがあります。
家や職場では、自己中心な態度を取ってしまうこともあります。
「でも、それは当然なことですよ。私たちは人間だから、誰も完璧じゃないです。」
けれども、もしそのことが当然だと思うなら、それは堕落した考え方です。
神様が人間を初めて造った時、そのことは全然当たり前のことではありませんでした。しかし、人間が神様を拒絶すると、そのことは「当然」になりました。
私たちが罪を当然だと思えば、それは堕落です。
私たちはいろんな言い訳を考えるかもしれませんが、神様の目に私たちは堕落しており、私たちの行動は忌まわしいものです。
私たちが神様から離れている間、私たちの道徳観念は堕落します。もし、私たちが善の源から離れたら、善を知っているとは言えません。
多くの人は神様から離れて、自分の道徳を造ろうと思いますが、神様の目で見ると、その道徳はいつも堕落します。
その結果は?
死です。また、裁きです。いつか、神様はこの世に戻って、この世を裁きます。
その日、神様に属する人は喜びます。けれども、神様を拒絶した人は恐れます。なぜなら、彼らは神様の聖さを見て、自分がどれほど堕落しているかを見ます。そして、彼らの言い訳が虚しいことを理解します。
だから、愚か者にならないでください。神様を認めて、私たちの王として受け入れましょう。ソロモンが言ったように、
主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。(箴言9:10)