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神様の選びの神秘(5)

予定説に関するもう一つの疑問についてお話ししたいと思います。

以前にも述べたように、もし神様が人の心の中で働かれなければ、誰も救われることはありません。それなら、なぜ神様はすべての人々の心の中で働かれ、すべての人々を救われないのでしょうか。

正直に言うと、私にはわかりません。おそらく、私が理解できない要素があるのでしょう。さらに、聖書には神様がその理由を説明されていません。

しかし、私たちは二つのことを心に留めるべきです。

第一に、神様は人の信仰を非常に大切にされます。そして、信仰とは、目には見えなくても神様に信頼することです。

けれども、ある人々にとって、神様を信じる前に自分の目で神様を見たいと願うことがあります。彼らは基本的にこう言います。

「神様の存在を証明する証拠があることは認める。それでも、自分の目で見ない限り、私は神様を信じない。」

でも、それは信仰の姿勢ではありません。さらに、多くの場合、その言葉は反抗的な心から生じています。そのため、神様はその願いを叶えられないことが多いのです。

では、もう一つのことを考えてみましょう。

神様が人々の人生の中で働かれるとき、多くの場合、クリスチャンを通して働かれます。

そして、神様は私たちにこの世の人々に福音を述べ伝える責任を与えられました。神様は天の御国の鍵を私たちに与えてくださいました。それを使わずに福音を伝えないなら、私たちは神様に問われることになります。(エゼキエル書33:7~9)

それでも、神様は私たちにその鍵を使うことを強制されません。

だから、神様が人々の人生の中で働かれるとき、二つの方法を用いることができます。

第一に、神様は直接働かれることができます。つまり、神様はご自身を直接現されることができるのです。とはいえ、神様は信仰を望まれるため、その方法をほとんど用いられません。

もう一つの方法は、神様が人々を通して他の人々に触れられることです。ただし、神様はクリスチャンたちに福音を伝えることを強制されません。

そのため、多くの人々が救われないままとなります。

では、神様の考え方は正しいのでしょうか。神様は私たちの創造主であり、すべてのことを知っておられます。

一方、私たちはただの人間であり、限られたことしか理解できません。そのため、神様の判断を批判することはできないでしょう。

だから、予定説について考えるとき、最終的にアブラハムのように私たちはこう言うべきなのです。

全地をさばくお方は、公正を行うべきではありませんか。(創世記18:25)

結局、私はそう思います。そして、神様が公正を行われることを信じます。

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神様の選びの神秘(4)

予定説について話す際によく出る質問は次のようなものです。

「あなたは、神様が誰を天国へ導くかをあらかじめ定めると主張します。ということは、神様は誰が地獄に行くかも、あらかじめ定めているのではないでしょうか。」

前回の記事で、この疑問についてある程度触れました。

ある意味では、神様は誰が地獄に行くかをあらかじめ定めておられます。しかし、誤解しないでください。神様は決して、こう言われることはありません。

「あなたは地獄に行け。たとえ悔い改めようとも、イエス様を信じようとしてもかまわない。私はすでにあなたの運命を決めているのだから。」

むしろ、神様はこう語られます。「私の計画は、あなたの罪のためにあなたを罰することです。私は正義を執行しなくてはなりません。」

それでも、神様はその宣告を猶予され、その人が純粋に自分の意志で悔い改めるかどうかを待っておられます。その人が自らの意志のみで神様を求め始めるかどうかを待っておられます。

悲しいことに、自分の意志だけで神様を求める者は誰もいません。

だからこそ、私はこう信じます。人々は自らの自由意志によって地獄に行きます。しかし、神様の選びによって、人々は天国に行きます。

神様は人々に自由意志を与えてくださいました。私たちは皆、神様に従うかどうかを選ぶことができます。

ところが、もし神様が私たちの心の中で働かれず、私たちをそのままにされていたなら、私たちは皆、神様に反抗し、自分の道を進んでいくでしょう。例外は一切ありません。それが人類の歴史なのです。

そのため、神様は決断をしなくてはなりませんでした。神様が人間をそのままにされ、すべての人が滅びることを許されることもできました。あるいは、神様が働かれ、ある人々を救われることもできました。

そして、神様は最終的に、ある人々を救うことを選ばれました。

それゆえ、パウロはこう語りました。

また、イザヤがあらかじめ告げたとおりです。

「もしも、万軍の主が、私たちに子孫を残されなかったなら、私たちもソドムのようになり、ゴモラと同じようになっていたであろう。」(ローマ人への手紙9:29)

ソドムとゴモラの人々は、自らの自由意志で神様に反抗することを選びました。神様は彼らを憐れむことを選ばれず、彼らが値する裁きを与えられました。つまり、彼らは裁かれて死にました。

同様に、イスラエル人たちも自らの自由意志で神様に反抗することを選びました。しかし、神様は彼らを憐れまれ、彼らが値しないものを与えてくださいました。それは、命に至る恵みです。

では、ソドムとゴモラの人々とイスラエル人たちは何が違ったのでしょうか。イスラエル人たちはソドムとゴモラの人々よりも優れた者だったのでしょうか。

いいえ、そうではありません。違いはただ一つ、神様の選びです。

神様はイスラエル人を選ばれました。一方で、神様はソドムとゴモラの人々を選ばれませんでした。

もう一度言います。それこそが、恵みの不思議さです。私たちは、他の人々より優れた者ではありません。それでも、神様は私たちを救うことを選ばれました。

それゆえ、私たちは神様の選びによって救われたのです。その一方、人々が地獄に行くのだとすれば、それは自らの選択によるものです。

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神様の選びの神秘(2)

前回の記事の最後で、私はこう問いかけました。「もし私たちの救いが神様の選びによるのなら、神様はみだりに誰を救い、誰を地獄に送ることを決めているのでしょうか。」

もちろん、神様はみだりに選ばれることはありません。神様は確固とした計画を持っており、すべての決断はその計画に基づいています。

私たちの問題は、神様がその計画を私たちに完全に明らかにされていないということです。また、神様はご自身の決断の理由をすべて示されているわけではありません。特に、なぜある人々を救い、ある人々を救われないのかについては説明されていません。

そのため、この疑問をどのように考えても、私たちは完全に理解することはできません。神様はすべてをまだ明らかにされていないからです。

だから、多くの人々は、神様の選びが不公平に思えるのです。

神様は、「わたしはあわれもうと思う者をあわれみ、いつくしもうと思う者をいつくしむ」と言われました。(15節)

そして、パウロはこう記しています。「ですから、神は人をみこころのままにあわれみ、またみこころのままに頑なにされるのです。」(18節)

すると、人々はこう叫びます。

「不公平だ。どうして神様はある人を憐れむのに、ある人を憐れまないのか。

もし神様がある人々を憐れまず、その心を頑なにされるのであれば、どうして神様は彼らを地獄に送るのか。

それは彼らのせいではない。だって、誰が神の意図に逆らえるのですか。」(19節)

パウロは、二つの答えを示します。

人よ。神に言い返すあなたは、いったい何者ですか。造られた者が造った者に「どうして私をこのように造ったのか」と言えるでしょうか。

陶器師は同じ土のかたまりから、あるものは尊いことに用いる器に、別のものは普通の器に作る権利を持っていないのでしょうか。(ローマ人への手紙9:20-21)

要するに、神様は創造主です。神様はご自身が造られたものを、思うままに扱う権利を持っておられます。また、神様はご自身の目的を果たすために、その造られたものを自由に用いる権利も持っておられます。

とはいえ、そのように述べた後で、パウロは興味深いことを語ります。

それでいて、もし神が、御怒りを示してご自分の力を知らせようと望んでおられたのに、滅ぼされるはずの怒りの器を、豊かな寛容をもって耐え忍ばれたとすれば、どうですか。(22)

パウロは何を伝えたいのでしょうか。たぶん、パウロのポイントはこうです。神様はご自身の計画を立てられましたが、滅びるべき怒りの対象となる人々にこう問いかけられました。

「あなたは私の判断が間違っていると思うのか。では、私の判断が誤っていることを証明しなさい。あなたが救いに値することを証明してみなさい。」

そして、神様は待っておられました。そして、さらに待っておられました。そして、さらに待っておられました。ところが、神様が待てば待つほど、人々はますます悪くなりました。

カナン人は、その例の一つです。アブラハムが初めてカナンに到着した時、神様は彼にこう語られました。

そして、四代目の者たちがここに帰って来る。それは、アモリ人の咎が、その時までに満ちることがないからである。(創世記15:16)

要するに、神様はアモリ人たちを裁くことを決められましたが、すぐにその裁きを実行されたわけではありません。むしろ、神様は彼らが滅びに値しないことを証明する機会を与えられました。

それでも、日々彼らが証明したのは、まさに自分たちがその裁きに値するということでした。そして、神様がイスラエル人をエジプトからカナンに導かれた時、イスラエル人を通してその裁きを実行されたのです。

大洪水の前にも、神様は同じようなことをされました。ノアは長い間、周囲の人々に警告しました。「神様はあなたたちを裁くことを決断された。あなたが悔い改めなければ、必ず滅びるでしょう。」

ノアが箱舟を造っている間、彼は彼らに繰り返し警告していました。そのため、彼らには悔い改める機会が十分に与えられていました。

彼らは神様の判断が誤っていることを証明する機会を持っていました。彼らがそれほど悪い人間ではないことを証明する機会も与えられていました。

けれども、結局彼らが証明したのは、自分たちがその裁きに値するということでした。

だから、心に留めておきましょう。人々が本当に神様を求め、従いたいと願うのに、神様がみだりに彼らを地獄に送ることはありません。

彼らが「神様、私は悔い改めます。赦してください。」と言うのに、神様が「残念だが、私はあなたを選んでいないので、君は地獄に行かなくてはならない」と答えることは決してありません。

むしろ、人々が神様に背を向けることを選び、神様がどれほど悔い改めの時間を与えられても、彼らは自分が滅びに値することを証明してしまいます。

だから、パウロはこう語ります。

ですから、これ(つまり、神様の選び)は人の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。(16節)

もし、神様の選びが私たちの願いや努力によるものなら、救われる人は誰もいないでしょう。なぜなら、神様が彼らを放っておかれたら、神様に従おうとする人は誰もいないからです。

だからこそ、神様の選びはただご自身の恵みと憐れみによるのです。

次の記事で、そのことをさらに詳しく説明します。

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神様の選びの神秘(1)

聖書の中で最も難しい概念の一つは、神様の選びです。つまり、神様が人々を聖徒として選ばれることです。

神様の選びを考えると、人間の自由意志という概念と矛盾するように思えます。また、神様の選びは、神様がすべての人々を愛しておられるという考え方とも矛盾しているように感じられます。

私の意見を述べる前に、まず言わなければならないことは、神様の選び、また予定説について、私たちの知識は不完全であるということです。どのように考えても、私たちはこの概念を完全に理解することはできません。

今日の箇所で、パウロはユダヤ人に対する自分の悩みを表現しています。なぜパウロは悩んでいたのでしょうか。それは、神様がご自身をユダヤ人たちに現されたにもかかわらず、多くのユダヤ人がイエス様をメシアとして拒絶したからです。

パウロ自身がユダヤ人であったため、特に深く悲しんでいました。

それでも、パウロは、アブラハムの子孫への神様の約束が無効になったわけではないと語ります。そして、パウロはその理由を二つ示します。

一つの理由は、11章に書かれています。もう一つの理由は、この箇所に記されています。

パウロの最初の答えは、単なる血統によって「私はユダヤ人だ」と主張することはできないということです。このことを説明するために、パウロはイサクとイシュマエルの例を挙げます。

パウロは「肉の子供」と「約束の子供」を対比します。

「肉の子供」とは、自然に生まれた子供のことです。イシュマエルは肉の子でした。アブラハムはハガルという若い女性と関係を持ち、その結果イシュマエルが生まれました。

一方で、イサクは「約束の子」でした。アブラハムの妻サラは長年、不妊の状態でしたが、神様は「サラは息子を産む」と約束されました。そして、彼女が90歳になった時、イサクを生みました。

彼女は神様の約束と力によってのみ、イサクを生むことができたのです。

このように、アブラハムの子孫となることは、自然のプロセスによるものではありません。それは血統によるものではなく、むしろ神様の恵みと約束によってのみ、私たちはアブラハムの霊的な子孫となるのです。

そして、パウロは重要なポイントを教えます。その約束は、私たちの行動に基づいているのではありません。

エサウとヤコブの話を通して、パウロはこの真理を説明します。

その子どもたちがまだ生まれもせず、善も悪も行わないうちに、選びによる神のご計画が、行いによるのではなく、召してくださる方によって進められるために、「兄が弟に仕える」と彼女に告げられました。(ローマ人への手紙9:11-12)

パウロのポイントは何でしょうか。神様がヤコブを選んだ理由は、ヤコブがエサウよりも優れた人だったからではありません。ヤコブが品行方正だったから、神様が彼を選ばれたわけでもありません。

むしろ、神様は恵みによってご自身の目的を果たすために、ヤコブを選び、約束をされたのです。

多くの人々は神様の選びを次のように説明しようとします。

「神様はご自身の予知によって人々を選ばれました。神様は誰が良い人になるか、悪い人になるかをあらかじめ知っておられました。また、神様は誰が神様を選ぶか、選ばないかをあらかじめ知っておられました。だから、神様はその予知によって人々を選ばれたのです。」

しかし、もし神様がそのように人々を選ばれるのであれば、11節にあるパウロのポイントは意味を持たないことになります。

この考え方によれば、人々の選びは彼らの行為によるものではなく、彼らが将来何をするかという神様の知識によって決定されることになります。

けれども、パウロによれば、神様の選びは人々の過去の行いにも将来の行いにも左右されないのです。

むしろ、パウロは「行いによるのではなく(過去の行いでも、将来の行いでも)、召してくださる方によって」と語っています。

そして、パウロは預言者マラキの言葉を引用します。

わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ。(13)

私はその言葉をこの記事でさらに詳しく説明しましたが、簡単に言えば、神様のポイントは、ヤコブの行いによるのではなく、神様の恵みと目的によってヤコブを選ばれたということです。

けれども、それは不公平ではないでしょうか。神様は、誰を救い、誰を地獄に送るのかを、みだりに選ばれるのでしょうか。

次の記事で、その疑問について詳しく考察します。

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私たちの希望の理由(2)

この箇所では、私たちが苦しみの中で希望を持つ理由をもう一つ見いだすことができます。それは、神様が永遠の昔から私たちのために計画を持っておられたことです。

パウロはこう記しました。

神は、あらかじめ知っている人たちを、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたのです。それは、多くの兄弟たちの中で御子が長子となるためです。

神は、あらかじめ定めた人たちをさらに召し、召した人たちをさらに義と認め、義と認めた人たちにはさらに栄光をお与えになりました。(ローマ人への手紙8:29-30)

多くの人々は、自由意志や予定説(すなわち、神様があらかじめすべてを定めておられること)という概念について考えると混乱します。

他の記事で私はこのテーマについて触れましたし、また9章について書くときに、改めてこのことを論じる予定です。

しかし、まずはクリスチャンにとってのパウロの言葉の意味を考えてみましょう。

あなたが生まれる前から、神様はあなたのことを深く知っておられました。

エペソ人への手紙1章で、パウロはこう述べています。神様はこの世を創造される前から、すでにあなたを知っておられました。

神様はあなたの良い面も、弱さも、すべてをご存じです。神様はあなたの得意なことも不得意なことも理解しておられます。

そして、あなたがどのような善を行い、どのような過ちを犯すかも、すべてをご存じです。

それでも、神様はあなたを選ばれました。そして、あなたのために良い計画を立てておられます。その計画とは、あなたが神様の御子のかたちに変えられることです。

神様は、あなたが罪深く、弱く、反抗的になってしまうことをすべてご存じでした。それでもなお、神様は恵みを与え、あなたを栄光に満ちた存在へと変えることを計画されたのです。

その計画を成就するために、神様はあなたを召されました。あなたが神様を求めていなかったとしても、神様はあなたを召されました。

そして、あなたが信仰を持って神様に向かうと、神様はあなたを義と認められました。イエス様が十字架の上であなたの罪の代価を支払われたので、神様はあなたに関して「無罪」と宣言することがおできになります。

そして、ある日、神様はあなたに栄光を与えてくださいます。イエス様と同じような栄光の体を授けてくださいます。その体は決して朽ちることなく、罪に汚れることもありません。それは、真に栄光に満ちたものなのです。

それは、神様があなたのために立てられた計画です。そして、その計画は確実なものです。結局のところ、神様の計画を変えられるものは何一つ存在しません。

神様は永遠の昔からすべてを知っておられるので、私たちを見てこう言うことは決してありません。

「あれ?彼を選んだけれど、ダメになってしまった。彼の人生はめちゃくちゃだ。もうどうしようもない。私でさえ彼を救うことができない。」

神様は、決してそんなことを言われることはありません。神様は、そもそもあなたのすべてを知っておられた上で、あなたを選ばれたのです。

そして、パウロは私たちへの神様の賜物について、こう記しています。

神の賜物と召命は、取り消されることがないからです。(ローマ人への手紙11:29)

あなたは、自分自身を見つめたとき、気が重くなることはありますか。クリスチャンとして思うように成長していないと感じ、失望してしまうことはあるでしょうか。

神様はあなたに失望されることはありません。神様は、はるか昔からあなたを知っておられます。神様はそもそも、あなたがイエス様のかたちに変えられるまでにどれだけの時間がかかるかを完全に理解しておられます。

だからこそ、神様は決してあなたを見放されることはありません。

そして、どんな試練に直面しても、その試練が神様の計画を狂わせることは決してありません。神様が驚かれることはなく、すでにあなたをどのように助けるかを知っておられます。

だから、苦しみの中でも絶望せず、パウロの言葉を心に留めてください。

神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。(ローマ人への手紙8:28)