この箇所は本当に私の心に響きます。なぜなら、現代でもその言葉の真実を目の当たりにできるからです。
シメオンは敬虔な人であったため、神様は彼に、イスラエルだけではなくこの世を救うメシアを見ることを約束されました。そして、彼がイエス様を見たとき、彼はこう語りました。
主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。私の目があなたの御救いを見たからです。
御救いはあなたが万民の前に備えられたもので、異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄です。(ルカのの福音書28:29-32)
ヨセフとマリヤはそれを聞いて驚きましたが、シメオンは彼らに警告を与えました。
ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が倒れ、また、立ち上がるために定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。
剣があなたの心さえも刺し貫くでしょう。それは多くの人の心の思いが現われるためです。(34-35)
シメオンの言葉は成就しました。確かに、多くの人々がイエス様を救い主として受け入れましたが、それ以上に多くの人々がイエス様を拒絶しました。イエス様の名を喜ぶ人々がいる一方で、その名を呪う人々もいました。
そして、ユダヤ人の指導者たちがイエス様を拒絶したため、イエス様が十字架で死なれるのをマリヤが目の前で見たとき、彼女の心は刺し貫かれるような痛みを感じました。
もちろん、シメオンの言葉はその時代に成就しましたが、現代でもその言葉は成就し続けています。
今でも、多くの人々がイエス様の名をたたえ、イエス様を礼拝していますが、多くの人々がイエス様を拒絶し、その名を呪います。彼らはその行為によって、自分の心の状態を明らかにしています。
多くの人々は見た目には善良に見えますが、自分たちの罪のために死なれた方を拒絶します。イエス様を拒絶するということは、神様とその道を拒絶することにほかなりません。むしろ、彼らは自分の道を生き続けることを主張します。
そのような態度は、イエス様の心を刺し貫くだけでなく、イエス様を愛する人々の心も刺し貫きます。特に、私たちが愛する人々がイエス様を拒絶するとき、私たちの心も深く傷つけられます。
また、クリスマスの時期に、人々がイエス様を拒絶しているのを見ると、とても胸が痛みます。私たちはイエス様の誕生を喜び祝いますが、同時に多くの人々がイエス様を拒絶している現実があるからです。
イエス様はこう言われました。
わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。(マタイ10:34)
あなたはこう問いかけるかもしれません。「でも、イエス様がお生まれになった時、天使たちは『地の上に、平和がありますように』と歌いましたよ?」
確かに、キリストは神様との平和をもたらすために来られました。しかし、イエス様は人々を分ける方でもあります。
イエス様の名によって、人々の間に分かれが生じます。家族も分かれることがありますし、友人同士も分かれることがあります。なぜなら、イエス様を拒む人々がいるからです。
私が伝えたいのは、イエス様に従い、福音を延べ伝えたいと思うなら、すべての人々を喜ばせることはできないということです。
イエス様のために、あなたのことを好きではない人々もいるかもしれません。彼らがイエス様を憎むなら、あなたをも憎むことがあるでしょう。
イエス様はこう言われました。
もし世があなたがたを憎むなら、世はあなたがたよりもわたしを先に憎んだことを知っておきなさい。もしあなたがたがこの世のものであったなら、世は自分のものを愛したでしょう。
しかし、あなたがたは世のものではなく、かえってわたしが世からあなたがたを選び出したのです。それで世はあなたがたを憎むのです。(ヨハネ15:18-19)
だから、すべての人に好かれようと望まないでください。むしろ、イエス様を愛し、その福音を延べ伝えましょう。
イエス様のために倒れる人もいれば、イエス様のために立ち上がる人もいます。もし、あなたが愛する人々が立ち上がるなら、その喜びは、これまでの苦しみと比べものにならないでしょう。
