この人生の意義とは何でしょうか。
多くの人々はその答えを知らず、迷い続けています。彼らは、お金や財産の中に人生の意義を見いだせると信じ、それらを追い求めます。
だからこそ、この話の中で、その男性はイエス様に家族の遺産を公平に分けるよう願ったのです。
けれども、イエス様は彼にこう言われました。
いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではない。(ルカの福音書12:15)
そして、イエス様は周囲の人々にこう言われました。
だから、わたしはあなたがたに言います。いのちのことで何を食べようかと心配したり、からだのことで何を着ようかと心配したりするのはやめなさい。
いのちは食べ物よりたいせつであり、からだは着物よりたいせつだからです。(22-23)
どうしてイエス様はこのことを言われたのでしょうか。二つの理由があります。
一つ目は、食べ物や服、お金で買えるものよりも、私たちの命がはるかに大切だからです。これらのものは一時的なものであり、瞬く間に存在し、瞬く間に消えてしまいます。
この世のものを手に入れることで、一時的に心や体が満たされるかもしれません。しかし、最終的にはもっと多くを求めるようになり、決して満足することはありません。むしろ、ますます飢え渇くようになります。
二つ目は、神様が私たちを深く愛しておられるからです。神様は私たちの必要をすべてご存知であり、もし私たちが神様を最優先に求めるなら、神様はその必要を満たしてくださいます。
それならば、私たちは他のものを優先するべきではないでしょうか。
では、私たちは何を最優先にするべきでしょうか。それは、神様の国です。
神様の国とは何でしょうか。それは「人々」です。イエス様は彼らのために命を捧げられました。神様は彼らとの関係を強く望んでおられます。だから、私たちは彼らを優先するべきです。
もし誰かが助けを必要としているなら、可能な限りその必要を満たすように努めましょう。お金を愛するのではなく、人々を愛し、惜しみなく与えましょう。なぜなら、神様は惜しみなく私たちに多くのものを与えてくださったからです。
私たちがこのように与えるなら、「自分のために、古くならない財布を作り、朽ちることのない宝を天に積み上げるのです。」(ルカ12:33)
とはいえ、彼らの物質的な必要を満たすだけではなく、彼らの霊的な必要にも目を向け、イエス様の愛によって彼らに触れるべきです。
神様は私たちに素晴らしい国を与えてくださいました。私たちの罪を赦すために、神様はイエス様を送ってくださいました。そして、神様は私たちを養子として迎えてくださいました。
だから、一時的なものに心を奪われたり、時間を浪費したりしないようにしましょう。むしろ、永遠に価値のあるものを追い求めましょう。
私たちを愛してくださる神様を求め、その愛をもって周りの人々に触れましょう。そうすれば、彼らも神様を知るようになるでしょう。
