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テモテへの手紙第二のデボーション

私の人生を形づけた聖句

聖書の教師として、第二テモテ3:16-4:8の聖句は、私の人生を形づくるものです。

特に、私は4:1-4に記されたパウロの言葉の重みを深く感じます。

ある日、私は天の父とイエス様の前に立ち、裁きを受けます。それは、私が救いに値するかどうかではなく、私の奉仕が忠実であったかどうかを問われるのです。

私は神のみ言葉を忠実に教えてきたでしょうか。この世では、多くの人々が真理から耳をそむけ、自分が聞きたいことを語る教師や牧師たちを集めています。

そのような時代にあって、私は神のご計画の全体、神のみ言葉の全体を教えてきたでしょうか。(使徒の働き20:26-27)

もしかすると、私は人々が受け入れやすいことだけを語ってしまったのかもしれません。

便利な時も、そうでない時も、私はみ言葉を教えてきたでしょうか。人々がその言葉を好む時も、好まない時も、私は神のみ言葉を忠実に語ってきたでしょうか。

この問いは、私の教えの奉仕を形づけてきました。

そのために、このブログを立ち上げました。このブログでは、聖書全体について書いてきたので、難しいテーマや難しい箇所を避けることはできませんでした。

このブログの目的の一つは、神の民が、神様の語られたすべての言葉を知ることにあります。

私はいつも神のみ言葉を忠実に語ってきたでしょうか。そうできなかった時も、私は覚えています。でも、過去の失敗は変えられません。私にできるのは、これから聖書を忠実に教え続けることです。

でも、覚えておきましょう。私たちすべてのクリスチャンには、周りの人々に神のみ言葉を伝える責任があります。

やがて、私たちは神様の前に立ち、周りの人々に何を伝え、何を伝えなかったかによって裁かれることになります。

だから、パウロの言葉を心に留めておきましょう。その言葉は、私やあなたの牧師だけのためではなく、すべてのクリスチャンのためのものです。

神の御前で、また、生きている人と死んだ人をさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現れとその御国を思いながら、私は厳かに命じます。みことばを宣べ伝えなさい。

時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。(テモテへの手紙第二4:1-2)