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ピリピ人への手紙のデボーション

イエス様のことを求める

テモテのように私と同じ心になって、真実にあなたがたのことを心配している者は、だれもいません。

みな自分自身のことを求めていて、イエス・キリストのことを求めてはいません。(ピリピ人への手紙2:20~21)

この言葉を読んだとき、私はこう考えました。「私はイエス様のことを求めているだろうか。」

私はつまらないことに心を奪われ、時間を浪費するのはたやすいことです。

それでも、私はイエス様のことを求めたいと心から願っています。

イエス様にとって最も大切なのは、私の人生に置かれている人々です。

テモテもパウロも、そのような関係を大切にしました。

だから、私の祈りは昨日の祈りと同じです。

天のお父さん、あなたの民への御子の心を私に与えてください。イエス様が大切にしておられることを、私も大切にしたいと願っています。

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テサロニケ人への手紙第一

イエス様が帰って来られるから

イエス様の再臨について語った後、 パウロは、私たちが教会全体として、また一人ひとりのクリスチャンとして、 どのように生きるべきかを教えています。

まず彼は、私たちの人間関係について語ります。

そして最初に、教会のリーダーたちに関してこう述べます。

兄弟たち、あなたがたにお願いします。

あなたがたの間で労苦し、主にあってあなたがたを指導し、訓戒している人たちを重んじ、その働きのゆえに、愛をもって、この上ない尊敬を払いなさい。また、お互いに平和を保ちなさい。(テサロニケ人への手紙第一5:12ー13)

私たちは、自分の教会のリーダーたちを、 どれほど当たり前の存在として受け止めているでしょうか。 彼らが失敗したとき、私たちはどれほど彼らを批判し、 見下すような態度を取ってしまうでしょうか。

けれども実際には、私たちすべてに失敗はあります。 もし、誰もが私たちの生き方にスポットライトを当てていたとしたら、 私たちもまた、たびたび批判の的になっていたことでしょう。

もちろん、リーダーたちはより厳しい基準で量られるべきです。 それでも、パウロはこう語ります。

「リーダーたちを尊敬しなさい。 彼らは、あなたのために労苦しているのです。 あなたが知る以上に、彼らは労しているでしょう。

だから、彼らを尊敬するだけでなく、愛をもって、 この上ない尊敬を払いなさい。 彼らは神様とその御国のために、 そしてあなたのために、苦労しているのだから。」

では、なぜ私たちはそのようにするべきなのでしょうか。 それは、イエス様が間もなく戻って来られるからです。 今は、牧師の小さな失敗を一つひとつ取り上げて批判すべき時ではありません。

神様ご自身が、リーダーたちの責任を問われます。 裁くのはあなたではなく、神様です。だからこそ、リーダーたちの人生を苦しめるのではなく、 「互いに平和を保ちなさい。」(13b)

忘れないでください。 リーダーたちは、主にあってあなたを導く人たちです。 けれども同時に、彼らはあなたの兄弟であり、姉妹でもあるのです。

だからこそ、神様があなたやリーダーたちを導いておられるその中で、 彼らに逆らって戦うのではなく、共に働いていきましょう。

パウロは、さらにこう語ります。

兄弟たち、あなたがたに勧めます。怠惰な者を諭し、小心な者を励まし、弱い者の世話をし、すべての人に対して寛容でありなさい。(14節)

批判の対象となるのは、牧師やリーダーたちだけではありません。 教会のメンバーたちもまた、ときに批判されることがあります。 もちろん、彼らが罪を犯しているのであれば、 私たちは正しく彼らを訓戒するべきです。

しかし、そのほかの人々は、 小心で、霊的な敵に脅かされていることもあります。 だからこそ、私たちは彼らを励まし、 彼らのそばに立って、ともに戦いましょう。 その困難な状況の中で、彼らを強めるのです。

また、体力的に、精神的に、感情的に、あるいは霊的に弱っている人もいます。 彼らは、私たちの兄弟であり姉妹なのです。 ですから、私たちは彼らを助けるべきです。

そして、イエス様が私たちに寛容でいてくださったように、 私たちも、互いに寛容であるべきです。 神様が私たちを見捨てずにいてくださるのなら、 私たちもまた、兄弟姉妹を見捨ててはなりません。

最後に、パウロはこう語ります。

だれも、悪に対して悪を返さないように気をつけ、互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行うように努めなさい。(15)

教会の中においても、 人々が私たちを傷つけることはあります。 どうしても、相手を許せないと感じるときもあるでしょう。

しかし、私はもう一度、はっきりと言います。 主は再び来られます。 だからこそ、恨みや苦々しい思いを抱いてはなりません。彼らの裁きを、神様に委ねましょう。 そして、彼らに優しく接するのです。

それは教会の中に限ったことではありません。 教会の外でも、同じように生きましょう。 そうすれば、人々はイエス様の愛を目にして、 その愛に心を奪われるかもしれません。

主は、まもなく来られます。 あなたは、牧師やリーダーたちをどのように扱っているでしょうか。 兄弟姉妹をどのように扱っているでしょうか。 あなたの周囲の人々を、どのように扱っているでしょうか。

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ガラテヤ人への手紙

御霊の実が形作る人間関係

神様との関係について考えるとき、私たちは次のような質問をよくします。「私は毎日、聖書を読んでいるだろうか。毎日祈っているだろうか。毎週の日曜日に教会へ行っているだろうか。」

けれども、神様との関係や自分の霊的な健康を考えるとき、本当に重要な尺度は私たちの人間関係です。

今日の箇所では、その真理を見ることができます。割礼やモーセの律法の従順についての議論のせいで、ガラテヤの教会では多くの人間関係の問題が次々と起こったようです。つまり、嫉みや争い、憤り、党派心、分裂などが生じたのでした(ガラテヤ人への手紙5:20-21)。

そのため、パウロは彼らに警告しました。

気をつけなさい。互いに、かみつき合ったり、食い合ったりしているなら、互いの間で滅ぼされてしまいます。(ガラテヤ人への手紙5:15)

そして、パウロは、人間関係の中で私たちが御霊の実を結ぶべきであると語ります。例えば、愛、寛容、親切、善意、誠実などです。(22-23)

前回の記事で、私たちはガラテヤ人へのパウロの訓戒を見ました。

「あなたたちは、古い生き方を十字架につけたのではないでしょうか。その生き方に戻ってはなりません。自分の罪深い心に従ってはいけません。むしろ、御霊によって歩みなさい。

もしあなたたちがうぬぼれて、互いに挑み合ったり、妬み合ったりすると、聖霊様の導きに従うことができません。」(24-26)

では、私たちは互いにどのように接するべきでしょうか。6章では、パウロは実用的な勧告を与えています。

兄弟たち。もしだれかが何かの過ちに陥っていることが分かったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい。また、自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい。(6:1)

律法主義的なクリスチャンには、二つの問題がありがちです。それはプライドと他者を責めることです。プライドによって、私たちは「私は良い人だ」と主張します。そして、人を責めるとき、私たちは「おまえはだめだ」と言ってしまいます。

もしかすると、ガラテヤの教会で、罪に陥った人がいたとき、ほかのクリスチャンたちは狼の群れのようにその人を攻撃したかもしれません。

けれども、パウロは彼らに問いかけました。「あなたたちは本当に御霊の人でしょうか。御霊はあなたたちを本当に導いているでしょうか。あなたたちは御霊の実を結んでいるでしょうか。

御霊の実は、柔和、親切、寛容、愛です。そのような態度をもって、その人を扱うべきです。その人を滅ぼそうとしてはいけません。その人を正してあげなさい。」

その際には謙遜な態度を持ちなさい。あなたたちも弱い者であることを認めなさい。あなたが罪に陥る可能性もあることを認めなさい。だから、相手の罪だけに集中するのではなく、自分自身も罪に落ちないように気をつけなさい。

そして、パウロはこう語りました。

互いの重荷を負い合いなさい。そうすれば、キリストの律法を成就することになります。(6:2)

パウロが意味したことは、あるクリスチャンが罪悪感の重荷を担っているときや、罪と戦っているときに、私たちがその人を支え、励ますべきだということです。

パウロの言葉を言い換えると、「あなたはキリストの律法を守りたいと思うでしょうか。罪と戦っている人を攻撃してはなりません。その人を励ましなさい。その人のために祈りなさい。」

もちろん、罪だけではなく、クリスチャンが他の問題を抱えているときにも、私たちはその人を支え、励ますべきです。

それこそが御霊に導かれる人です。その人は、ただ聖書を読み、祈るだけではありません。むしろ、その人の人間関係には、御霊の実が豊かに結ばれます。

私は自分がそのような人かどうか分かりません。それでも、そのような人になりたいと願っています。あなたはどうでしょうか。

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マタイの福音書 マタイ5章

山上の説教:和解

前の記事で、私たちはこの言葉を読みました。

平和をつくる者は幸いです。(マタイ5:9)

その言葉を読むと、多くの場合、私たちはケンカしている二人の友達を助けることを考えます。

けれども、私たち自身がケンカをしている時にも平和を作る者になるべきです。

イエス様はこう言われました。

だから、祭壇の上に供え物をささげようとしているとき、もし兄弟に恨まれていることをそこで思い出したなら、供え物はそこに、祭壇の前に置いたままにして、出て行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。

それから、来て、その供え物をささげなさい。(5:23-24)

注意事項が二つあります。

まずは、イエス様は「もしあなたの兄弟があなたに恨みをもつなら、あなたは彼のところに行って、仲直りしなさい。」と言われます。

多くの場合、私たちは自分が悪いことをしていないと思うのに、誰かが私たちに怒っています。だから、私たちは「それは彼の問題です。私には関係ない。」と言います。

しかし、そうするなら、実はあなたは彼のことを見下しています。

あなたは口では言わないかもしれませんが、あなたの行動によって、「この人は私の時間に価値しない。もし彼が問題を抱えているなら、彼がこちらに来るべきだ。」という態度を示します。

けれども、イエス様はそのような態度を許されません。もし誰かが私たちを恨んでいるなら、私たちは積極的に仲直りしようとしなくてはなりません。

時には、あなたが謝らなくてはならない場合もあります。

あなたはこう言うかもしれません。「でも、私は悪いことをしていないのに。」

そうかもしれません。相手が繊細過ぎるかもしれません。それでも、相手の感情を考えてください。もしあなたの行動や言葉で彼らを傷つけたのであれば、あなたは謝るべきです。

せめて、「思わずあなたを傷つけてしまい、ごめんなさい。許してくれませんか。」と言った方が良いです。

そして、彼らを傷つけた言葉や行動を二度としないように気を付けるべきです。これは、相手のためだけでなく、彼らのために十字架で死なれたイエス様のためでもあります。

二つ目は、私たちの壊れた人間関係が、私たちの神様との関係に影響を与えるということです。

もし私たちができる限り相手と仲直りしようとしないのなら、神様は私たちの供え物を受け入れてくださいません。ペテロも、夫が妻を思いやりを持って扱わないなら、神様があなたの祈りを受け入れてくださらないと言います。(第一ペテロ3:7)

さらに、もし私たちが本当に悪かった場合、イエス様は私たちがすぐに積極的に償いをしなくてはならないと言われました。

あなたを告訴する者とは、あなたが彼といっしょに途中にある間に早く仲良くなりなさい。

そうでないと、告訴する者は、あなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡して、あなたはついに牢に入れられることになります。

まことに、あなたに告げます。あなたは最後の一コドラントを支払うまでは、そこから出ては来られません。(5:26-28)

でも、あなたが悪くなくても、できるだけ相手と仲直りをしようとするべきです。

もう一つのポイントがあります。時々、相手には私たちと仲直りする気がありません。それは私たちがコントロールできないことです。私たち自身の行動だけがコントロールできます。

だから、相手のために祈ってください。相手と仲直りするために何をした方がいいか、神様に尋ねてください。そして、神様があなたにアイデアを与えてくださるなら、それを実行すべきです。

そのあとのことは、相手の責任です。もし彼らが反応しないなら、その状況を神様の手にゆだねることしかできません。

パウロはこう書きました。

あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。(ローマ12:18)

あなたの周りの人々とはどのような関係がありますか。

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箴言

人間関係の築き方と壊し方

この箇所では、私たちは人間関係を築き、守るための原則を読みます。

一つの鍵は、私たちの言葉に気を付けることです。

ソロモンはこう書きました。

知恵のある者の心はその口をさとし、そのことばに理解を増し加える。

親切なことばは蜂蜜、たましいに甘く、骨を健やかにする。(箴言16:23-24)

私たちが他の人と話す時、私たちの言葉に気を付けなくてはなりません。

私たちは何を言った方が良いか、また、いつ言った方が良いか知っているでしょうか。私たちの言葉は魂に甘く、人々を癒すものでしょうか。

そんな言葉は人間関係を築き、守ります。

その反面、

ねじれ者は争いを巻き起こし、陰口をたたく者は親しい友を離れさせる。(16:28)

ある人は、人間関係を癒すのではなく、その関係を壊してしまいます。例えば、彼らはしばしば噂をするので、いろんな人を傷つけてしまいます。

また、彼らが傷つけられた時、相手と話しをせずに、周りの人々にその人について悪口を言います。

しかし、ソロモンはこう言いました。

そむきの罪をおおう者は、愛を追い求める者。同じことをくり返して言う者は、親しい友を離れさせる。(17:9)

もちろん、私たちは罪を隠すべきという意味ではありません。もし、人々が本当に傷つけられた時、その罪を無視してはいけません。

とはいえ、毎日、人々は私たちに対して罪を犯します。時々、彼らはあえて罪を犯しますが、たまには、彼らは思わず私たちに対して罪を犯します。多くの場合、私たちはいらいらさせられますが、時々私たちは本当に傷つけられます。

けれども、どんな状態でも、噂をしたり、悪口を言ったりすれば、その状態は良くなりません。むしろ、その状態はもっと悪くなります。

だから、あなたが本当に傷つけられたら、相手に面と向かう方が良いです。それはイエス様の命令です。(マタイ18:15)

そして、その問題を解決するとき、その人を許してあげて、もうそのことについて話さないべきです。「もうするなと言ったでしょう?私は何回そう言わなければいけないの?」と言ってはいけません。

むしろ、過去を指さずに、相手にその問題について話すべきです。

けれども、時々、その問題が本当に小さかったら、何も言わずに、許した方が良いです。

ソロモンはこう言いました。

争いの初めは水が吹き出すようなものだ。争いが起こらないうちに争いをやめよ。(箴言17:14)

また、

そむきの罪を愛する者はけんかを愛する。自分の門を高くする者は破滅を求める。(箴言17:19)

時々、私の妻は、私の家事のやり方について文句を言います。そして、私は「細かいなぁ。どうして彼女はそんなに怒っているのだろうか」と思います。

しかし、その時、神様はこう応えられます。

「細かいかもしれないけど、簡単なことでしょう?だから、喧嘩せずに、しなさい。喧嘩すると、壁を築くだけです。そして、ずっと壁を築き続けると、あなたの結婚を壊してしまいます。」

私は自分のプライドを抑えなくてはならないけど、私の結婚にはその方がいいと思います。

実のところ、私の弱さや欠点が妻のよりも多いと思うので、妻の方が忍耐が必要だと思います。その忍耐を本当に感謝しています。

最後に、ソロモンはこう言います。

自分のことばを控える者は知識に富む者。心の冷静な人は英知のある者。(箴言17:27)

私たちが喧嘩するときには、言葉を控えて、気を付けなくてはなりません。私たちは冷静でいるべきです。なぜなら、怒りによって話すと、後でその言葉を後悔することが多いからです。

あなたはどうでしょうか。あなたの言葉は人間関係を築いていますか。それとも、その関係を壊していますか。