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ローマ人への手紙

悪い伝染

私はこの箇所の要点はおおよそ理解できますが、パウロの言葉を完全に把握するのは少し難しいです。

最も分かりにくいのは、私たちの罪との関係です。つまり、次の問いかけに向き合うことになります。

「私たちは罪を犯してから罪人となるのでしょうか。それとも、もともと罪人だからこそ罪を犯すのでしょうか。

また、私たちは罪を犯すゆえに裁かれるのでしょうか。それとも、私たちの罪深い本性のゆえに裁かれるのでしょうか。」ということです。

パウロによれば、私たち皆はもともと罪人であるため罪を犯し、また私たちの罪深い本性のゆえに裁きに値します。

パウロはこう言います。

こういうわけで、ちょうど一人の人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして、すべての人が罪を犯したので、死がすべての人に広がった。。。(ローマ人への手紙5:12)

この箇所の内容は分かりやすいです。パウロによれば、エデンでアダムが罪を犯すと、罪が世界に入りました。そして、その罪によって死がこの世界に入りました。

アダムは死に、エバも死にました。彼らの子孫はすべて死にました。今なお、すべての人々は最終的に死に至ります。

この箇所の最後の部分は少し分かりにくいです。パウロは、「すべての人が罪を犯したので、死がすべての人に広がった」と言いました。

それを読むと、多くの人々はこう考えます。「では、人は自分の犯した罪のために死ぬのだろうか。」

その説明はある程度正しいですが、完全ではありません。もちろん、長く生きる人は皆罪を犯し、その罪のゆえに裁かれます。私たち全員が死ぬことに値します。

けれども、赤ちゃんが死んだら、何の罪のために死んだのでしょうか。死産児はどうでしょうか。彼らには良心もなく、善悪の意識もありません。彼らは自分の犯した罪のために死んだのでしょうか。

パウロは、間接的にこのことについて語ります。

実に、律法が与えられる以前にも、罪は世にあったのですが、律法がなければ罪は罪として認められないのです。

けれども死は、アダムからモーセまでの間も、アダムの違反と同じようには罪と犯さなかった人々さえも、支配しました。アダムは来たるべき方のひな型です。(13-14)

つまり、アダムの時代からモーセの時代までは、神様からの律法は存在しませんでした。神様はアダムに戒めを与えられましたが、その子孫には戒めを与えられませんでした。

そのため、神様は人々に「あなたは私の律法に違反した」と言われることはできませんでした。それでも人々は死にました。なぜでしょうか。

それは、アダムの罪が私たち皆の心の中にあるからです。その罪とは何でしょうか。私たち皆は神様に逆らい、それぞれ自分の道を歩みます。そして、それは生まれつきの性質なのです。

だからこそ、パウロが「すべての人が罪を犯したので、死がすべての人に広がった」と言ったとき、彼はアダムが罪を犯した結果、私たち皆が罪人となったことに触れています。私たちにはアダムの罪深い本性が受け継がれています。

少し異なる表現を使うなら、罪は伝染病のようなものです。アダムの罪は私たち皆に伝染しました。

では、どのようにしてアダムの罪が私たちに伝染したのでしょうか。それは分かりません。けれども、人類の歴史を見れば、その真理が明確に示されています。

イエス様以外に、完全に罪のない人は誰もいません。私たち皆は罪を犯します。

私たちは罪を犯してから罪人になったのではなく、罪人だからこそ罪を犯すのです。罪人は自然に罪を犯します。私たち皆は罪人であり、死ぬことに値します。

それは非常に憂鬱な真理ですが、次の記事で良い知らせが語られます。