この箇所では、イエス様は12人の弟子たちだけでなく、さらに72人を派遣されました。そして彼らに以前と同じ指示を与えられました。
2~3節は私の心に深く響きます。
イエス様は以前言われた言葉を繰り返されました。
実りは多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。(ルカの福音書10:2)
要するに、多くの人々の心は福音を受け入れる準備が整っています。もし私たちが彼らに福音を伝えるなら、彼らはすぐにそのメッセージを受け入れるでしょう。
だからこそ、イエス様はこう言われます。「働き手のために祈りなさい。神様が彼らを送るように祈りなさい。」
けれども、それだけでは終わりません。イエス様は命じられます。「行きなさい。いいですか。わたしがあなたがたを遣わす。。。」(3節)
イエス様は今でも私たちに同じことを言われます。
もちろん、イエス様は私たちが働き手のために祈ることを望んでおられます。
とはいえ、イエス様はあなた自身をも遣わそうと望んでおられるのです。イエス様は、あなたがその召しを聞き、周りの人々に触れていくことを望んでおられます。
時として、私たちは拒絶されることを恐れることがあります。しかし、イエス様は私たちにこう言われます。
あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾ける者であり、あなたがたを拒む者は、わたしを拒む者です。わたしを拒む者は、わたしを遣わされた方を拒む者です。(16)
要するに、人々があなたを拒絶しても、実際には彼らはイエス様を拒絶しているのです。ですから、失望しないでください。なぜなら、必ず福音を受け入れ、救われる人がいるからです。
このようにして、イエス様は私たちを励ましてくださいます。
あなたがたの見ていることを見る目は幸いです。
あなたがたに言いますが、多くの預言者や王たちがあなたがたの見ていることを見たいと願ったのに、見られなかったのです。
また、あなたがたの聞いていることを聞きたいと願ったのに、聞けなかったのです。(23-24)
長い間、モーセやダビデ、ダニエルなどは、神様の御国が力をもって到来することを願ってきました。けれども、キリストが来られたことにより、私たちはその御国が人々の人生に訪れるのを目の当たりにすることができます。
それでも、私たちが行動しなければ、その力を見ることはできません。しかし、私たちが行動すると、神様の御国が訪れ、力をもって人々の人生を変える様子を目の当たりにすることができます。
