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テサロニケ人への手紙第一

本物の仕える者

『ピリピ人への手紙』では、パウロは福音が広められているのを見て、神様をほめたたえました。 けれども不思議なのは、福音を宣べ伝えている人々の中に、悪い動機を持つ者たちもいたということです。(ピリピ1:15-18)

この箇所から私たちが学ぶのは、たとえ人々の動機が不純であっても、 神様はそのような人々をも通して福音を語られるということです。 しかし結局、そうした人々は神様からの報いを受けることはありません。

それに対して、パウロは自らのミニストリー全体を通して、 本物の神様に仕える者として歩んでいました。 今日の箇所にも、その姿がよく表れています。

パウロは迫害にあっても、大胆に福音を宣べ伝えました。(第一テサロニケ2:2、また、使徒の働き16〜17章)

そして、彼は神様のみことばを語るときに、 正確に語り、テサロニケの人々を操ろうとしたことも、 欺こうとしたこともなく、ただ清い動機に基づいて語っていたのです。(第一テサロニケ2:3,5)

さらにパウロは、まわりの人々ではなく、神様に認められることを望み、 神様から福音をゆだねられた者として語り続けました。(第一テサロニケ2:4〜6)

時に、人々は神様のみことばをオブラートに包むことがあります。 相手が真理を聞いて不快に思うかもしれないからです。

実際、イエス様のことばによって、多くの人々が心を騒がせました。 とくに、パリサイ人や他の宗教的な指導者たちは、激しく反発しました。

イエス様は、神様の愛だけでなく、神様の裁きについても語られたのです。 ご自身を拒む者は裁かれると、はっきりと教えておられました。(マタイ7:21〜23;25:31〜46 など)

パウロは、イエス様の模範に従いました。 彼はエペソの人々に、こう語ったのです。

ですから、今日この日、あなたがたに宣言します。私は、だれの血に対しても責任がありません。

私は神のご計画のすべてを、余すところなくあなたがたに知らせたからです。(使徒の働き20:26-27)

パウロは、エゼキエル書33章に言及しています。 その箇所で、神様はエゼキエルに対し、こう警告されました。 「わたしの民に裁きについて警告しなさい。もしそれをしなければ、彼らの血の責任をあなたに問う。」

このような背景を踏まえ、パウロが福音を宣べ伝えるときの目的は、 人々に受け入れられることではなく、主に喜ばれることでした。

それでもなお、パウロはまわりの人々を深く愛していました。 彼は使徒としての権威を決して乱用せず、 むしろこう語ったのです。

キリストの使徒として権威を主張することもできましたが、あなたがたの間では幼子になりました。

私たちは、自分の子どもたちを養い育てる母親のように、あなたがたをいとおしく思い、神の福音だけではなく、自分自身のいのちまで、喜んであなたがたに与えたいと思っています。あなたがたが私たちの愛する者となったからです。(第一テサロニケ2:7-8)

母のように、パウロは彼らの信仰を養いました。

父のように、パウロは彼らから金銭を求めることなく、霊的に支えるために、自ら働き続けました。 そして父として、彼らを慰め、励まし、 神様にふさわしく歩むようにと、勧めたのです。(第一テサロニケ2:6〜12)

彼らの霊的な父として、パウロは模範そのものでした。 彼は敬虔に、正しく、また責められるところのないようにふるまっていたのです。(第一テサロニケ2:10)

それこそが、本物の仕える者の姿です。

このことを考えるとき、 つい自分の牧師を批判したくなるかもしれません。 けれども、どうかそうしないでください。 むしろ、自分自身を省みてください。 なぜなら、神様はあなたをご自身に仕える者として呼ばれたからです。

あなたは、家族や友人、そしてまわりの人々に仕えるように召されています。 彼らに対して、あなたは神様の使節なのです。(第二コリント5:20)

神様は、あなたに福音をゆだねておられます。 あなたは本物の仕える者でしょうか。