11章では、この手紙の著者は、信仰を持っていたヒーローたちについて語りますが、そのヒーローたちがいつもヒーローらしかったわけではないことに気づきましたか。
たとえば、サムエルは素晴らしい士師であり預言者でしたが、子育てにおいては大きな失敗をしました。
ダビデはイスラエルの最も偉大な王でしたが、二度大きな罪を犯しました。彼は姦淫と殺人を犯し、さらに自分の誇りからイスラエルの兵隊を数えました。
それでも、彼らは本質的に善い人たちでした。
では、他のヒーローたちはどうでしょうか。
多くのクリスチャンはギデオンについて考えると、彼がミデヤン人との戦いに勝利した場面を思い浮かべます。ですが、その後のギデオンの行動はあまり称賛できるものではありませんでした。
ギデオンと兵士たちは疲れて空腹だったため、二つの町に食事を求めました。けれども、町の人々はそれに応じなかったので、ギデオンはミデヤン人を倒した後、その町々に報復しました。
ギデオンは「私はイスラエルの王にはならない。神様があなたがたの王だ」と言いましたが、彼自身は王のように振る舞い始めました。彼は多くの妻を迎え、息子に「アビメレク(私の父は王)」という名をつけました。
さらに、彼は金のエポデを作りました。当時、祭司は神様に伺う際にエポデを用いていました。つまり、ギデオンは祭司ではなかったのに、祭司のように振る舞ったのです。
そのうえ、イスラエル人たちはそのエポデを偶像として礼拝し、それはギデオンと彼の一族にとって落とし穴となりました。
バラクはどうでしょうか。預言者デボラが同行すると約束するまで、彼はイスラエルの敵と戦うことを拒みました。
サムソンはどうでしょうか。ある程度はイスラエル人をペリシテ人から救いましたが、民数記6章にあるナジル人の誓願を破ってしまいました。
彼はさらに、さまざまな性的な罪を犯し、復讐心を抱いていました。イスラエル人たちを助けたかもしれませんが、彼の動機は決して良いものではありませんでした。彼はイスラエル人のためではなく、自分のために生きていました。
エフタはどうでしょうか。彼は愚かな誓いを立てました。
最善の場合、彼は自分の娘を神様の奉仕のために捧げ、その結果、彼女は結婚せず、子どもも産みませんでした。
最悪の場合、彼は神様の命令に背いて、自分の娘をいけにえとして捧げた可能性があります。いずれにしても、エフタはその誓いを深く後悔しました。
それなのに、この手紙の著者は、どうしてそんな人々を「信仰のヒーロー」として称賛したのでしょうか。
もしかすると、彼らが真のヒーローではなかったからこそ、著者は彼らについて語ったのかもしれません。
彼らは私たちと同じような人々でした。つまり、彼らは罪人でした。時には、ひどいことをしてしまったのです。ですが、神様に信頼すると、彼らは素晴らしいことを行いました。
彼らは私たちと同じような人々でした。つまり、彼らは罪人でした。時には、ひどいことをしてしまったのです。ですが、神様に信頼すると、彼らは素晴らしいことを行いました。
では、彼らの物語から私たちは何を学べるでしょうか。私たちも、毎日神様に信頼すれば、素晴らしいことを行うことができます。けれども、信頼しなければ、私たちもまた、ひどいことをしてしまう可能性があります。
あなたの生き方によって、人々はあなたの人生を判断します。毎日神様に信頼しているなら、人々はあなたをダニエルやその仲間たちと比べるでしょう。彼は獅子の口をふさぎ、火の勢いを消しました(33-34)。
しかし、ある日は神様に信頼し、ある日は信頼しないなら、あなたはサムソンやギデオンのように見られてしまうかもしれません。その人は神様に信頼しているときには素晴らしいことをしたが、神様に信頼しないときにはひどいことをしてしまった。
あなたは何を選びますか。
