カテゴリー
詩篇

私たちの王を喜ぶ

詩篇97篇も、私たちの王の偉大さを喜びます。

詩人は叫びます。

主は、王だ。地は、こおどりし、多くの島々は喜べ。(詩篇97:1)

「地は、小躍りせよ。」

完全な世では、すべての国民は神様を私たちの王として喜ぶでしょう。

完全な世では、彼らは義と裁きが神様の王座の基であることを喜ぶでしょう。(2)

また、彼らは神様の力を喜ぶでしょう。(3-5)

また、神様の栄光を喜ぶでしょう。(6)

しかし今は、この世の人々はそうしません。むしろ、彼らの偶像にしがみついて、お金や、セックスや力を追い求めます。だから、ある日、彼らは恥を見ます。(7)

それでは、私たちは何を喜ぶでしょうか。私たちの王の偉大さを喜ぶでしょうか。それとも恥を与えるものを喜ぶでしょうか。

もし、神様を喜ぶなら、詩人は私たちに言います。

主を愛する者たちよ。悪を憎め。(10)

あなたは神様を愛しながら、悪を抱くことができません。だから、神様を愛するなら、あなたは神様が憎むものを知って、その物を捨てなくてはなりません。

そのような人に関して、詩人は言います。

主は聖徒たちのいのちを守り、悪者どもの手から、彼らを救い出される。

光は、正しい者のために、種のように蒔かれている。喜びは、心の直ぐな人のために。(10-11)

そして、詩人はこの詩篇をまとめます。

正しい者たち。主にあって喜べ。その聖なる御名に感謝せよ。(12)

あなたは何を喜ぶでしょうか。

カテゴリー
イザヤ書

神様の偉大さ

私たちが宣言する神様は誰でしょうか。神様はどのような方でしょうか。この箇所でイザヤは教えてくれます。

イザヤはこう言いました。

「見よ。あなたがたの神を。」見よ。神である主は力をもって来られ、その御腕で統べ治める。(イザヤ書40:9ー10)

イザヤは何を言っているのでしょうか。

神様は全能の主です。12節によれば、神様はすべてを造られた方であり、神様と比べると、この宇宙でさえも神様よりはるかに小さいのです。

時々、私は美しい星空を見上げます。その瞬間、宇宙の広大さを感じると同時に、自分がいかに小さい存在であるかを理解します。

しかし、宇宙は神様の手の中に収まるほどの大きさです。造り主は、自らの被造物よりもはるかに大きいに違いありません。

イザヤは続けてこう言います。

目を高く上げて、だれがこれらを創造したかを見よ。

この方は、その万象を数えて呼び出し、一つ一つ、その名をもって、呼ばれる。

この方は精力に満ち、その力は強い。一つももれるものはない。(26)

神様は国々とその支配者たちよりもはるかに大きな存在です。イザヤはこう言いました。

見よ。国々は、手おけの一しずく、はかりの上のごみのようにみなされる。

見よ。主は島々を細かいちりのように取り上げる。レバノンも、たきぎにするには、足りない、その獣も、全焼のいけにえにするには、足りない。

すべての国々も主の前では無いに等しく、主にとってはむなしく形もないものとみなされる。(15ー17)

王たちが王座に座って、自分の国を広げようとするかもしれませんが、

主は地をおおう天蓋の上に住まわれる。地の住民はいなごのようだ。

主は天を薄絹のように延べ、これを天幕のように広げて住まわれる。

君主たちを無に帰し、地のさばきつかさをむなしいものにされる。(22ー23)

しかし、神様は全能の主であるだけでなく、知恵に富む方でもあります。だからこそ、イザヤはこう書きました。

だれが主の霊を推し量り、主の顧問として教えたのか。

主はだれと相談して悟りを得られたのか。

だれが公正の道筋を主に教えて、知識を授け、英知の道を知らせたのか。(13ー14)

その答えは明らかです。「誰も。」

神様だけがすべての知恵を持っておられます。神様だけがすべてのことをご存じです。

だからこそ、イザヤは尋ねます。

あなたがたは、神をだれになぞらえ、神をどんな似姿に似せようとするのか。

鋳物師は偶像を鋳て造り、金細工人はそれに金をかぶせ、銀の鎖を作る。

貧しい者は、奉納物として、朽ちない木を選び、巧みな細工人を捜して、動かない偶像を据える。(18ー20)

ここでイザヤは皮肉を述べています。

「主は地をおおう天蓋の上に住んでおられます。地の住民はまるでいなごのようです。(22)

それでも、あなたたちはこの小さな金と銀の偶像を造るのでしょうか。ある人々は貧しいため、金や銀すら使いません。木材から造ります。

それでも、あなたはこのようなものを礼拝するのですか。このようなものを生きている神と比べるのですか。」

神様は全ての力と知恵と栄光を持っておられます。神様は本当に偉大な方です。そのことを心に留めていなくてはなりません。

とはいえ、もう一つ心に留めるべき大切なポイントがあります。それは何でしょうか。その偉大な神様は私たちを愛しておられるということです。

イザヤはこう書きました。

主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に子羊を引き寄せ、ふところに抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く。(11)

それは本当に最も驚くべきことです。

神様がこれほど偉大であり、私たちがこれほど小さくても、神様はなお私たちを愛しておられます。そして、私たちが神様と和解できるように、神様はご自身の子をこの世に送られました。

どれほどあなたは神様の偉大さについて考えるでしょうか。

どれほどあなたは神様の愛について考えるでしょうか。

そのようにすれば、私たちの問題は小さく見えるようになるでしょう。

たとえどんな問題があったとしても、私たちの神様の方がはるかに大きいです。そして、神様は私たちを愛しておられるので、きっと私たちを助けてくださいます。

ですから、私たちの問題に焦点を当てないようにしましょう。偉大な神様に焦点を当てましょう。私たちを愛しておられる神様に焦点を当てましょう。