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申命記のデボーション

神様の目には忌むべきもの。私たちの目には忌むべきもの?

また、あなたがたは、彼らのところにあった忌むべきもの、すなわち木や石や銀や金の偶像を見た。(申命記29:17)

日本では、偶像や仏壇を見ることに慣れるのは簡単なことです。

しかし、上記の言葉を読んだときに、神様がそのようなものに決して慣れることはなさらないと改めて思い出しました。

モーセの時代でも、私たちの時代でも、神様の目には、それらの偶像や仏壇は忌むべきものです。

そのとき、ふと、神様が忌み嫌うものにはほかに何があるのだろうと考えました。そして、私はそれらにも慣れてしまっているのではないかと自問しました。

最初に思い浮かんだのは、アマゾンプライムのビデオのことです。

もちろん、すべてのビデオが悪いわけではありません。けれども、確かに、10~20年前であれば「それは忌むべきものだ」と感じていたようなビデオもあります。

ところが、今では「この世はそういうものだろう」という態度を取るのは簡単なことです。

しかし、神様の態度は決して変わりません。神様にとって、それらは今もなお忌むべきものなのです。

だからこそ、私たちも同じように考えるべきです。

そこで、私は次のように祈りました。

天のお父さん、どうか私があなたが忌み嫌うものに慣れることがありませんように。私があなたのように考える者となれますように。

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民数記のデボーション

性的な罪を軽く見ていないか

バラムが神様に仕えているかどうかという疑いがあれば、25章では、その疑いは解けました。なぜなら、バラムのせいで、イスラエル人たちは偶像礼拝や性的な罪に陥ってしまったからです。(民数記31:16)

その罪のゆえに、2万4千人のイスラエル人たちが死にました。

イスラエル人たちがその罪を犯したのは、これが二度目です。(出エジプト記32章)

さらに、民数記15章の話のように、イスラエル人たちは気づかずに罪に陥ったわけではありません。むしろ、彼らは故意に罪を犯したのです。

特に、祭司ピネハスが殺した人は、故意に罪を犯しました。

主の罰で多くの人々が死にかけている中で、また、モーセや他のイスラエル人たちが主の前で泣いている中で、その人はバアル礼拝の関係で、ある女性と性的な関係を持とうとしました。

その時代、売春と偶像礼拝には強い関係がありました。

もちろん、日本では今も偶像礼拝がありますが、性的な罪そのものが現代の偶像になっています。

現代社会では、多くの人々が性的な罪を軽く考え、実際には罪だと思っていないのです。(ローマ1:24、26-27、32)

しかし、神様によれば、その罪は死に値するのです。(ローマ1:32;第一コリント6:9-10)

そういうわけで、パウロはその二つの事件を振り返って、こう言いました。

これらのことは、私たちを戒める実例として起こったのです。彼らが貪ったように、私たちが悪を貪ることのないようにするためです。

あなたがたは、彼らのうちのある人たちのように、偶像礼拝者になってはいけません。聖書には「民は、座っては食べたり飲んだりし、立っては戯れた」と書いてあります。

また私たちは、彼らのうちのある人たちがしたように、淫らなことを行うことのないようにしましょう。彼らはそれをして一日に二万三千人が倒れて死にました。(第一コリント10:7ー8)

あなたはどうですか。

現代の人々と同じように、性的な罪を軽く考えているのでしょうか。