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ルカの福音書 ルカ12章

偽善

時々、イエス様は一つのたとえを用いて、さまざまな教訓を示されました。この箇所では、その一例を見て取ることができます。

以前、イエス様が弟子たちを宣教の旅へ遣わされたとき、こう言われました。

おおわれているもので、現わされないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはありません。(マタイ10:26)

つまり、イエス様は弟子たちに多くのことを教えられましたが、他の人々はまだその教えを聞いていなかったのです。けれども、弟子たちが福音を伝えるとき、彼らはイエス様のすべての教えを人々に伝えなければなりませんでした。

また、イエス様が彼らにささやかれたことを、彼らは屋上で大胆に宣べ伝えなければなりませんでした。(マタイ10:27)

この箇所では、イエス様はほぼ同じたとえを用いながらも、全く異なる教訓を示されました。イエス様は弟子たちにこう言われました。

パリサイ人のパン種に気をつけなさい。それは彼らの偽善のことです。(ルカの福音書12:1)

そして、イエス様はこう言われました。

「あなたは心の中で様々なものを隠しているかもしれません。けれども、結局それらは明らかになります。あなたが暗闇で語ったことは、光の中で聞かれます。また、あなたがささやいた秘密は屋根の上から宣べ伝えられるのです。」

要するに、あなたは良いクリスチャンのふりをすることができるかもしれません。しかし、もしあなたが偽善者であり、行動が言葉と矛盾しているなら、あなたの偽善は最終的に明るみに出ます。

この世では隠せるかもしれませんが、天国では隠すことはできません。

だからこそ、私たちは偽善者にならないように気をつけなければなりません。私たちは神様と人々の前で正直な人生を歩みましょう。

そうしなければ、私たちに関する真実は、いつか必ず明らかになるのです。

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山上の説教:偽善的な裁き

子供の頃、私は「Isaac Air Freight」というクリスチャンのコメディーグループが大好きでした。彼らはたくさんのパロディーを制作しており、その中には「60 Minutes」というアメリカの有名なニュース番組のパロディーもありました。

その時、リポーターは「木こりさん」という夫婦をインタビューしました。彼らはクリスチャンでしたが、非常に珍しい「特徴」がありました。なんと、彼らの目から丸太が出ていたのです。

そのため、彼らはいつも周りのものを倒してしまい、他の人々について文句を言ったり、裁いたりしていました。

インタビュー中、丸太が何度もリポーターに当たりそうになる場面がありました。ところが、リポーターがその丸太について尋ねた時、彼らはこう答えました。「へ?丸太って?」

それでもリポーターは言い張りました。「あなたの目にでかい丸太がありますよ。あなたはいつも周りのものを倒してしまっているんですよ。」

すると、彼らは答えました。「そうなの?全然気づかなかったけど。」

多くのクリスチャンがその木こりさんたちのようです。自分の欠点には気づかず、他人を批判してしまうのです。

しかし、イエス様は私たちにこう言われます。「あなたは批判によって相手を助けていると思っているけれど、あなた自身の欠点にはまったく気づいていません。

相手の問題はただのちりですが、あなたの問題は梁です。あなたは盲人であり、そのことを知りません。もし盲人のあなたが他の盲人を導こうとするなら、あなたたちは穴に落ち込むでしょう。

あなたは、愚かな人々を賢くするための教師だと思っています。けれども、生徒たちはあなたの欠点を学び、結果的にあなたのような者になってしまうのです。それでもなお、あなたは自分の欠点にまったく気づいていないのです。

イエス様はこの話をこのように締めくくられました。

偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうしてこそ、兄弟の目のちりがはっきり見えて、取りのけることができるのです。(ルカ6:42)

イエス様の要点は何でしょうか。それは、謙遜だと思います。

多くの人々は、自分の目にプライドという梁を持っています。

誤解しないでください。時には、私たちは兄弟や姉妹に彼らの罪について話す必要があります。それはイエス様の命令です(マタイ18:15)。また、使徒たちもその命令を繰り返しました(ガラテヤ6:1)。

とはいえ、そのようなとき、私たちはどのような態度を取るべきでしょうか。プライドに満ちた態度を取るべきでしょうか。「私はあなたより優れたクリスチャンだ」という態度でしょうか。

そうではありません。

へりくだった態度を取るべきです。自分自身にも神様の恵みと憐れみが必要だという謙虚さを持つべきです。

だから、相手を責める前に、まず神様にこう尋ねるべきです。

「神様、私の罪は何でしょうか。私の目にどんな梁が入っていますか。私はプライドを持っているでしょうか。私は相手を許せていないでしょうか。私は相手を責めていますが、同じ欠点を持っているのでしょうか。」

もし、神様があなたの欠点を示されたなら、すぐに悔い改めてください。

自分の弱さを知らないうちに、また、自分がどれだけ神様の憐れみを必要としているかを理解できていないうちに、相手と話すのを急がない方がよいかもしれません。

そうしないと、相手が自分の罪を悔い改めたとしても、あなたからさらに悪いこと、特にプライドや偽善を学んでしまうかもしれません。

イエス様はこう言われました。

弟子は師以上には出られません。しかし十分訓練を受けた者はみな、自分の師ぐらいにはなるのです。(ルカ6:40)

あなたの目には、どのような梁が入っていますか。