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ペテロの手紙第二のデボーション

偽りの自由の約束

その人たちに自由を約束しながら、自分自身は滅びの奴隷となっています。人は自分を打ち負かした人の奴隷となるのです。(ぺテロの手紙第二2:19)

今日の箇所で、ペテロは教会にいる偽教師について警告しています。実際、現代の教会にも多くの偽教師がいます。彼らは聖書を神の言葉ではなく、ただの人の言葉として見なしています。

だから、文化が聖書に反することを教えると、彼らはその文化に従います。文化と偽教師たちが約束するのは、神の言葉を捨てれば自由を得られるということです。

しかし、こうした「自由」は実際には多くのものを破壊します。人々の人生を破壊し、さらには人々の魂を滅ぼしてしまいます。

本当の自由を与えてくださるのは、イエス様だけです。本当の自由を望むなら、私たちはイエス様の教えを信じ、その教えにしがみつかなければなりません。イエス様の教えを拒む人は、自分がイエス様の弟子だと主張することはできません。

だから、イエス様の言葉を心に留めてしょう。

あなたがたは、わたしのことばにとどまるなら、本当にわたしの弟子です。

あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。(ヨハネ8:31ー32)

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ペテロの手紙第二

この世界は永遠に続くことはないから

今日の箇所で、ペテロがはっきりと言っているのは、この世界が永遠に続くものではない、ということです。彼は次のように言いました。

しかし、主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は大きな響きを立てて消え去り、天の万象は焼けて崩れ去り、地と地にある働きはなくなってしまいます。。。

その日の到来によって、天は燃え崩れ、天の万象は焼け溶けてしまいます。(ペテロの手紙第二3:10,12)

私たちは普段、このことについて考えることはないでしょう。むしろ、私たちは価値のないものに集中してしまいます。一時的なもの、快楽、仕事、お金などに執着し、人生を無駄にしてしまうことがあります。

しかし、最終的には、それらすべては燃えてしまうのです。その日、この地は消え去り、私たちの心は明らかにされ、神様の裁きに直面します。

だからこそ、ペテロは次のように言います。

このように、これらすべてのものが崩れ去るのだとすれば、あなたがたは、どれほど聖なる敬虔な生き方をしなければならないことでしょう。そのようにして、神の日が来るのを待ち望み、到来を早めなければなりません。(11-12)

簡単に言えば、私たちは自分の優先順位を調整しなければなりません。この世のすべては滅びてしまうのですから、それらを追い求めるべきではありません。むしろ、神様とその御国を追い求めるべきです。

私たちは神様を喜ばせるように生きる必要があります。そして、毎日、神様の御国を広げるために働き、周りの人々に触れ、キリストの愛を分かち合わなければなりません。

では、「神の日の到来を早める」とはどういう意味でしょうか。どうやってその日を早めることができるのでしょうか。それは少し想像しづらいかもしれません。

それでも、私たちにはそれを行うことができます。なぜなら、神様が呼ばれる最後の人がイエス様を自分の主と救い主として受け入れると、教会の使命が完成されるからです。その日、神様はもう待つ必要がなくなり、イエス様を送ることができるのです。

けれども、神様と人間との和解をもたらす前に、私たちは自分自身が神様と和解されているかどうかを確認しなければなりません。そのために、ペテロは次のように言います。

ですから、愛する者たち。これらのことを待ち望んでいるのなら、しみも傷もない者として平安のうちに神に見出していただけるように努力しなさい。(14)

しかし、私たちは自分のために生きるなら、神様との平和を持つことはできません。また、神様の教えを曲げるなら、神様との平和を持つことはできません。

ある人々は、パウロの言葉やほかの聖句を曲げていたようです。けれども、それが彼らを滅びに導きました。(16)

多くの人々は、自分が気に入った聖句だけを受け入れます。けれども、神様の教えが気に入らなければ、その教えを無視したり、捨てたりしてしまいます。また、あえてその教えを完全に変えてしまう人もいます。

もし私たちがそのようなことをすれば、神様との平和を持つことはできません。私たちは、神様をありのままで受け入れなければなりません。神様を変えることはできないのです。

だから、ペテロは、神様のみ言葉を変える人々について、私たちに警告を与えています。

そして、ペテロはこの手紙の冒頭のように、その手紙を締め括ります。

私たちの主であり、救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。(18)

だから、イエス様とそのみ言葉を曲げるような教えを捨てましょう。むしろ、イエス様に近づき、イエス様から学ぶことを選びましょう。そうすれば、日々の中で、イエス様はますます大きく見えるようになるでしょう

そして、憐れみと平和が、あなたの人生に満ち溢れることでしょう。

イエス・キリストに栄光が、今も永遠の日に至るまでもありますように。(18b)

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ペテロの手紙第二

どうして私たちは神様の御言葉を知らなくてはならないのか

前回の記事で私たちが学んだのは、私たちの信仰が自分の経験だけに基づくだけでなく、神様の御言葉にも基づいているということです。

今日の箇所では、ペテロが、なぜ私たちが神様の御言葉をよく知っていなければならないのかを説明します。

その理由は、教会に入り込む偽教師たちの存在です。ペテロは次のように言いました。

しかし、御民の中には偽預言者も出ました。同じように、あなたがたの中にも偽教師が現れます。

彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込むようになります。自分たちを買い取ってくださった主さえも否定し、自分たちの身に速やかな滅びを招くのです。(ペテロの手紙第二2:1)

その教師たちは何を教えていたのでしょうか。彼らは基本的に、クリスチャンたちが好き勝手に生きても良いと教えました。彼らは、私たちが自分の情欲に従っても、神様は気にされないと教えました。

その教師たち自身がそのように暮らしていました。彼らは人前で罪を犯しました。教会で皆が一緒に食事をした時、彼らは酔っぱらったそうです。また、彼らは多くの教会の女性たちと寝ました。(13-14)

さらに、彼らはお金に執着していました。彼らが教会で教えた時、彼らの目的は教会の人たちからお金を奪うことでした。(14)

おまけに、彼らは自分の行為を正当化しようとしました。彼らによれば、その生き方によって、私たちは本当の自由を知るのだと主張しました。(18-19)

ペテロは彼らに関してこう言いました。

その人たちに自由を約束しながら、自分自身は滅びの奴隷となっています。人は自分を打ち負かした人の奴隷となるのです。(19)

ペテロによれば、彼らがイエス様を決して聞かないままであった方が良かったのです。なぜでしょうか。

彼らは真理を初めて聞いたとき、自分を奴隷にしていたものから逃れました。しかし、今や彼らはそこに戻ってしまいました。

彼らが真理を知らない間は、まだ真理を聞き、罪から救われる可能性がありました。

ところが、彼らは真理を知るようになり、その真理の甘さを味わいました。それにもかかわらず、彼らは結局、真理を拒絶しました。

では、彼らには救われる可能性があるでしょうか。ほとんどありません。彼らが悔い改めない限り、救われる可能性はゼロです。

さらに、神様は彼らをもっと厳しく裁かれます。なぜなら、彼らは無知によって罪を犯したのではなく、神様の真理を知りながら、あえて罪を犯したからです。(20-21)

ペテロは彼らに関して、こう言いました。

「犬は自分が吐いた物に戻る」、「豚は身を洗って、また泥の中を転がる」という、ことわざどおりのことが、彼らに起こっているのです。(22)

でも覚えておきましょう。彼らの教えに従うと、私たちも同じ落とし穴に落ちてしまうのです。

だから、私たちが自分に問わなければならないのは、どれだけ聖書を知っているかということです。

もし、誰かが嘘を教えると、その嘘を見破ることができるでしょうか。

私たちはどのように嘘を見破ることができるのでしょうか。

銀行員たちは偽札を勉強しません。逆に、彼らは本物の札によく馴染み、偽札に触れる瞬間、何か違うと分かります。

あなたは神様のみ言葉をそれだけ知っているでしょうか。あなたはそれだけ知っているはずです。そうであれば、あなたが騙される恐れはありません。

あなたはどれだけみ言葉を知っているでしょうか。

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テトスへの手紙

真理を擁護する

この手紙は、牧師へのパウロの最後の手紙です。この手紙で、パウロはテトスという牧師にどのようにクレタの教会を扱うべきか教えました。

どうやら、エペソにあるテモテの教会のように、クレタの教会も偽教師とその教えに直面していました。

ある人たちは、ユダヤ人の作り話や系図について教えたり、律法主義の宗教を教えたりしました。その教会は比較的新しかったため、その変な教えはすでに入り始めていました。

さらに、教会のメンバーたちはまだ未成熟なクリスチャンたちだったため、どのように聖なる人生を送るか分かりませんでした。

そのため、この手紙の最初から、パウロは、なぜ神様が彼をお召しになったのか説明します。それは、信者たちが真理を知るためです。

けれども、その真理は敬虔な人生と切り離すことはできません。反面、その真理によって、信者たちは神様が約束した永遠の命を得ます。(テトスへの手紙1:2-3)

しかし、その若い教会はリーダーが不足していたため、パウロはテトスにクレタの町ごとの教会に長老たちを任命するように命じました。彼らは牧師の役割を果たすために任命されました。

そして、テモテへの手紙のように、パウロは長老たちに関して、二つのことを強調しました。

一つ目は、長老たちの性格です。その長老たちは非難されるところのない人であるべきです。

実は、反抗的な者、無益な話をする者、人を惑わす者が多くいます。特に、割礼を受けている人々の中に多くいます。そのような者たちの口は封じなければなりません。

彼らは、恥ずべき利益を得るために、教えてはならないことを教え、いくつかの家庭をことごとく破壊しています。

クレタ人のうちの一人、彼ら自身の預言者が言いました。「クレタ人はいつも噓つき、悪い獣、怠け者の大食漢。」(テトスへの手紙1:10-12)

現代の教会でも、私たちは同じようなことを見ます。ある人たちは神様の御言葉の一部が嫌いで、その教えを曲げてしまいます。そして、偽教師の教えによって、いくつかの家族がキリストから引き離されます。

クレタの偽教師のように、ある人の動機はお金です。

また、ある教師たちは、神様の恵みが足りないと思い、私たちが神様の救いのために働かなくてはならないと思っています。

他の教師たちは、自分勝手に生きたいと思い、神様の教えを曲げます。

だから、パウロはテトスに言いました。

ですから、彼らを厳しく戒めて、その信仰を健全にし(なさい)。。。(13)

簡単に言うと、「真理を擁護しなさい。その嘘を見逃してはいけません。神様が嘘をつかれない方なので、私たちは神様の模範に従わなくてはいけません。」(1:2)

パウロによれば、たくさんの人々は神様を知っていると主張しますが、彼らは自分の行為によって神様を否定します。なぜなら、彼らの知性も良心も汚れているからです。彼らは真理を受け入れたくないのです。

しかし、パウロはテトスにこう命じます。

あなたは健全な教えにふさわしいことを語りなさい。(2:1)

周りの人々は真理を拒絶するかもしれませんが、私たちは真理を擁護しなければなりません。私たちは真理を曲げてはいけません。

あなたはどうでしょうか。真理を擁護するでしょうか。それとも嘘を見逃して、人々が破滅に至ることを許すでしょうか。

さらに、自分の罪にふけるために、真理を曲げるでしょうか。

真理にどのように反応したかによって、私たちは裁かれます。裁きの日に、神様はあなたに何と言われるでしょうか。

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テモテへの手紙第ー

教師としての失敗

ヤコブはこう記しています。

私の兄弟たち、多くの人が教師になってはいけません。あなたがたが知っているように、私たち教師は、より厳しいさばきを受けます。(ヤコブ3:1)

あるクリスチャンは、教師としての地位を求めることがあります。けれども問題なのは、聖書を教えたいと願っていながら、自分では聖書をよく知っていると思っているものの、実際には十分に理解していないということです。

さらに、その動機が不純であれば、その問題はさらに深刻になります。

こうした背景の中で、パウロはテモテに対し、偽教師をどのように扱うべきかを語っています。

この命令が目指す目標は、きよい心と健全な良心と偽りのない信仰から生まれる愛です。ある人たちはこれらのものを見失い、むなしい議論に迷い込み、(テモテへの手紙第一1:5-6)

パウロの意図は、少し解釈が分かれるところです。彼が求めていたのは、偽教師たちが「清い心、健全な良心、偽りのない信仰から出る愛」を生み出すことだったのでしょうか。

あるいは、パウロが本当に望んでいたのは、エペソのクリスチャンたちがそのような愛に満ちた歩みをすることだったのかもしれません。

いずれにせよ、はっきりしているのは、偽教師たちはもはや愛に満ちた心から教えてはいなかったということです。さらに、彼らは清い心と健全な良心、偽りのない信仰を見失ってしまっていました。

むしろ、この世を愛し、富を得ることを望んでいたようです(6:3-10)。

皮肉なことに、その一方で彼らは禁欲的な生活を人々に教えていました(4:2-3)。

また、愛と教会の一致を教えるのではなく、むしろ争いや論争を引き起こしていました。

しかし、以前にも述べたように、彼らの最大の問題は、聖書を教えようとしていながら、実際には聖書を正しく理解していなかったという点です。そのような者たちについて、パウロはこう語っています。

律法の教師でありたいと望みながら、自分の言っていることも、確信をもって主張している事柄についても理解していません。(7)

これらの偽教師たちは、モーセの律法を教えようとしていましたが、律法の目的を正しく理解していませんでした。

パウロによれば、律法は正しい人のために与えられたものではありません。つまり、律法は神によって義と認められているクリスチャンのためのものではないのです。

むしろ、律法はクリスチャンではない人々のためにあり、彼らが律法を通して自らの罪を知り、神に立ち返り、救いへと導かれるためのものです(8-11)。

しかし、偽教師たちはこの真理を理解していなかったために、クリスチャンたちを誤った道へと導いてしまったのです。

残念ながら、今日でも多くの人がこうした偽教師のように、確信をもって聖書を教えてはいるものの、自分の語っている内容や主張している事柄について、正しく理解していません。その結果、多くの人々が惑わされてしまうのです。

では、あなた自身はどうでしょうか。あなたは牧師ですか。それとも教会の教師でしょうか。バイブルスタディーを導いているでしょうか。日曜学校で教えているでしょうか。あなたはどのような教師だと言えるでしょうか。

あなたの動機は何でしょうか。プライドでしょうか。それとも、人々からの尊敬を求めているのでしょうか。あるいは、あなたの動機は愛でしょうか。

あなたは、バイブルのメッセージを語るためにきちんと準備しているでしょうか。また、日々聖書を読み、神のことばに親しんでいるでしょうか。あなたは本当に聖書をよく知っているでしょうか。

もしかすると、確信をもって聖書を教えていながら、自分が語っていることや主張している事柄を実は理解していないということはないでしょうか。

多くの人は教師になるべきではありません。なぜなら、その教えに対して、より厳しいさばきを受けるからです。

さばきの日に、イエス様はあなたに何と語られるでしょうか。

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ローマ人への手紙

純朴な人にならないように

この手紙を締めくくる前に、パウロはローマのクリスチャンたちに警告を与えます。

兄弟たち、私はあなたがたに勧めます。あなたがたの学んだ教えに背いて、分裂とつまずきをもたらす者たちを警戒しなさい。彼らから遠ざかりなさい。(ローマ人への手紙16:17)

パウロは何について話しているでしょうか。パウロは、偽教師とその教えについて話しているのです。

パウロの時代の教会でも、偽教師は大問題だったし、現代の教会でも、偽教師は大問題です。だからパウロは、「そんな人に注意しなさい」と警告します。

でも多くの場合、そんな人を認識するのは難しいです。なぜなら、彼らの教えは良いことに聞こえるから。パウロはこう書きました。

彼らは、滑らかな言葉、へつらいの言葉をもって、純朴な人たちの心をだましています。(18b)

でも実は、

そのような者たちは、私たちの主キリストにではなく、自分の欲望に仕えているのです。(18a)

だから、パウロはこう言います。

。。。なお私が願うのは、あなたがが善にはさとく、悪にはうとくあることです。(19b)

私たちは、どのように偽の教師とその教えが認識することが出来るでしょうか。そのカギは17節に書いてあります。彼らの教えは私たちの学んだ教えに背きます。

もちろん、私の前提はあなたがキリストに関する本当の教えを学んだ事があることです。

もしその教えを知らないなら、あなたは善にさとくないし、悪にうとくないのです。むしろあなたは狼の純朴な獲物になります。

でも、ローマ人のクリスチャンたちは神様のみ言葉に踏まえたので、パウロは彼らにこう言いました。

あなたがたの従順は皆の耳に届いています。ですから、私はあなたがたのことを喜んでいます。。。

平和の神は、速やかに、あなたがたの足の下でサタンを踏み砕いてくださいます。(19-20)

だからこそ、神様の言葉にしっかり立ち、神様の真理を求め続けてください。そうすれば、あなたは決して惑わされることはありません。

銀行員は偽札を識別するために、偽札そのものを学ぶのではありません。むしろ、彼らは常に本物の紙幣に触れることで、偽札に触れたときに違和感を覚えるのです。

同じように、神様の言葉を深く知っているなら、偽りに惑わされることはありません。

だから、神様の真理を熱心に学びましょう。そして、

平和の神は、速やかに、あなたがたの足の下でサタンを踏み砕いてくださいます。どうか、私たちの主イエスの恵みがあなたがたとともにありますように。(20)