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マタイの福音書 マタイ18章

傷ついたとき

私たちが傷つくことは、本当に辛いことです。さらに、私たちが信頼している人に傷つけられると、その痛みはさらに深いものとなります。

おそらく、弟子たちが誰が一番偉いかを論じ合っていた時、互いに傷つけ合っていたでしょう。イエス様はそれを知っておられたので、彼らにこう言われました。

また、もし、あなたの兄弟が{あなたに対して}罪を犯したなら、行って、ふたりだけのところで責めなさい。もし聞き入れたら、あなたは兄弟を得たのです。(マタイの福音書18:15)

二つのことに注目してください。

まず第一に、誰かがあなたを傷つけた時、その人があなたの元に来て謝るのをただ待つべきではありません。あなた自身が積極的にその人の元に行き、その問題について話し合うべきです。

多くの場合、私たちは怒り、相手が私たちの元に来て謝るように要求してしまいます。

けれども、その態度は和解の姿勢ではなく、誇りの姿勢です。神様は私たちが平和をつくる者になることを望んでおられます。イエス様の言葉を心に留めておきましょう。

平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。(マタイ5:9)

もちろん、あなたのケンカしている友達を助けるべきです。しかし、あなたが相手と喧嘩している場合には、あなた自身が平和をつくる者となる必要があります。もしプライドを持ち続けるなら、相手と和解することはできません。

さらに、もし相手が意図せずあなたを傷つけた場合、彼らはあなたの傷に気づいていないかもしれません。そのため、私たちがただ待っているだけでは、彼らが謝ることは決してないでしょう。ですから、私たちは積極的に相手のところに行くべきです。

第二に、私たちはゴシップや中傷をしてはいけません。イエス様は「あなたが傷ついた時、皆にそのことを話しなさい」とは言われませんでした。むしろ、イエス様は「行って、ふたりだけのところで責めなさい」と言われました。

もちろん、私たちの希望は、相手が私たちの傷に気づき、そして謝罪することです。

ところで、もし相手があなたの元に来て、そのように責めてきたら、どのように反応すべきでしょうか。特に、あなたが相手が繊細すぎると感じる場合、どのように対応するのが良いでしょうか。

それでも、彼らの感情を大切にするべきです。そして、素直に謝りましょう。また、相手の言葉を心に留めて、次に気を付けるべきことを考えるようにしてください。それこそが、平和をつくる者の態度です。

しかし、あなたが傷ついたにもかかわらず、相手が自分の過ちを認めない場合、どうすれば良いでしょうか。

その場合、イエス様は「二人の人々を連れて行き、その人と話しなさい」と言われました。

もちろん、その二人には状況を正確に説明すべきです。それでも、相手を悪く言うことは避けなければなりません。あなたの目的はあくまで和解です。

実際に、その二人と相談することで、あなた自身が相手を誤解していたことに気づく場合もあるかもしれません。 または、彼らの助けによって、相手が自分の至らなさに気づくこともあるでしょう。

ただし、改めて強調しますが、あなたの目的は和解です。

しかし、相手が聞き入れてくれない場合には、教会にその問題を伝えるべきです。

必ずしも全員の前で公にする必要はありません。 とはいえ、牧師や他のリーダーの助けを求めるのが良いでしょう。

けれども、相手が聞き入れてくれないなら、イエス様はこう言われます。

教会の言うことさえも聞こうとしないなら、彼を異邦人か取税人のように扱いなさい。(17)

イエス様が意味されたことは、あなたが相手に対する期待を変えるべきだということです。相手がクリスチャンとしてふるまうことを期待しない方が良いでしょう。

むしろ、彼らをクリスチャンではない人として見た方が良いです。私たちは、クリスチャンではない人がクリスチャンのようにふるまうことを期待しないでしょう。そして、相手が悔い改めない限り、クリスチャンとしての行動をしているとは言えません。

ですから、相手に会うときには気をつけてください。相手が悔い改めないなら、あなたを何度も傷つける可能性があります。

イスラエル人が取税人を避けたように、あなたもできるだけ相手を避けた方が良いでしょう。それでは、なぜ避けるべきなのでしょうか。それはあなたが怒っているからですか。それとも苦々しい思いを持っているからですか。そうではありません。

実際には、その怒りや苦々しい思いを手放さなくてはなりません。そうしなければ、あなた自身がその感情に縛られてしまうからです。

むしろ、相手が危険な人物であるため、その人を避ける方が良いのです。もし彼らが自分の過ちを認めないなら、その人はあなたにとって危険な存在です。ですから、相手を避けてください。

さて、あなたはどうですか。傷つけられた時、どのように対応しますか。

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箴言

友人からの傷

ハワイに住んでいた時、ある時期、私は主と共に歩み、毎週教会に行っていましたが、スモール・グループに行くのは辞めました。

私のスモール・グループはいろんな理由で(悪い理由ではありませんでした)、解散しました。その時、「日本に引っ越すかもなあ」と思ったので、他のグループに参加しなくても良いと思いました。

ところが、時間が経ち、結局日本に行かなくなりました。それでも、私はスモール・グループに参加しようと思いませんでした。

けれども、ある日、神様は私に「もうそろそろ、スモール・グループに参加した方が良いんじゃない?」と言われました。

だから、私はそうしました。

その後、私は以前のスモール・グループのメンバーの一人と話し、「私はスモール・グループに入ったよ」と言いました。

彼女は答えました。「ああ、良かった。ブルースのこと、ちょっと心配だった。」

私はそれを聞いて、びっくりしました。「そう?なんで何も言わなかったの?」と尋ねました。

彼女は答えました。「まあ、ブルースはやっぱり大丈夫かなあと思ったから。」

成熟したクリスチャンのマイナス面は、私が大丈夫じゃなくても、私の周りのクリスチャンは、「ブルースは大丈夫だ」と思うことです。

だから、私は友だちにこう言いました。

「私について心配することがあるなら、今度は何か言ってください。私は最初はその言葉を聞かないかもしれないけど、あなたの言葉が神様から来るなら、結局神様が私の心に語ります。」

私が友だちに言ったように、時々私は頑固です。だから、友だちの言葉に注意しない時もあります。しかし、何度も、その言葉を通して、神様は私の心に語られました。

時々、その言葉は嫌です。私たちの友だちは私たちの罪を指摘することがあります。だから、私たちはその言葉を聞いて、傷ついてしまうことがあります。

また、私たちは「どうして、そんなに酷いことを言われただろうか」と思うかもしれません。

けれども、ソロモンはこう言いました。

あからさまに責めるのは、ひそかに愛するのにまさる。

憎む者が口づけしてもてなすよりは、愛する者が傷つけるほうが真実である。(箴言27:5-6)

要するに、あなたの友だちがあなたを本当に愛するなら、あなたが罪を犯すと、彼らはあなたを訓戒します。

しかし、あなたを愛していない人は何も言いません。彼らはあなたが転んでもいいと思うから。

あなたに正直に言う友だちは本当に大事です。彼らは、あなたを励ますだけでなく、あなたに聖書的な助言を与えてくれます。

だから、ソロモンはこう言います。

香油と香料は心を喜ばせ、友の慰めはたましいを力づける。

あなたの友、あなたの父の友を捨てるな。あなたが災難に会うとき、兄弟の家に行くな。

近くにいる隣人は、遠くにいる兄弟にまさる。(9-10)

けれども、私たちは互いに支え合うべきです。 友だちが私たちの成長を励ますように、私たちも自分の言葉と行動を通して、彼らの成長を助けるべきです。

ソロモンはこう書きました。

鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる。(17)

あなたにはそんな友だちがいるでしょうか。あなたたちは互いに研ぎ合うでしょうか。あなたたちは訓戒し合うでしょうか。

もしかしたら、あなたたちは相手が聞きたい言葉だけを言いますか。

あなたにはどんな友だちがいるでしょうか。