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ヨハネの手紙第一のデボーション

光の中を歩む

もし私たちが、神が光の中におられるように、光の中を歩んでいるなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます。(ヨハネの手紙第一1:7)

今朝、上のことばを読んだとき、「光の中を歩む」とは、どういう意味だろうかと思いました。

今まで私が考えていたのは、「罪を犯す瞬間、私たちは光から離れ、闇に入り、悔い改めるまでその闇にとどまる」ということです。

私たちが救いを失うとは思わなかったけれど、ある意味、私たちが闇に入ってしまうと思いました。

でも、ヨハネのことばを反芻してみると、その考え方が間違っていると思いました。

ヨハネは、光の中を歩む人が決して罪を犯すことはないとは言いません。

むしろ、ヨハネは、私たちが光の中を歩んでいるなら、私たちが罪を犯すとき、イエス様の血がその罪から私たちをきよめてくださると言います。

だから、光の中を歩むとは、私たちの人生の良い面も悪い面もすべてをイエス様にさらけ出すことです。

そして、イエス様の光が私たちの心の中の罪を現すと、私たちはすぐに悔い改めます。

私たちはその罪を隠そうとしません。私たちは言い訳をしません。私たちは悔い改めます。そうすれば、神様は真実で正しい方ですから、その罪を赦してくださいます。

それが、光の中を歩むことです。

その反面、神の光から隠れると、私たちは神との関係を持つことができません。アダムとエバと同じように、私たちが自分の罪と咎を隠そうとしたり、自分の罪のために言い訳をしたり、自分の罪を正当化しようとするなら、神様との関係を持つことができません。

それが、闇の中を歩むことです。

だから、私たちが光の中を歩んでいるかどうかを考えるとき、自問自答しなければならないのは、どれだけ誘惑に負けるかということではありません。

自問自答しなければならないのは、「私のすべてをイエス様にさらけ出しているだろうか。私は隠そうとしているところがまだあるだろうか」ということです。

天のお父さん、私は光の中に踏み入れ、その光の中を歩むことを選びます。私の恥ずべき罪も隠しません。

あなたの光を私に照らしてください。私が変わらなければならないところを教えてください。

私は、単にあなたの光の中に立ち、あなたの恵みを受けたいのではありません。私は、光の中で歩みたいのです。

だから、私の次のステップを教えてください。そして、一歩一歩前進し続けることで、私がよりあなたのようになれますように。イエス様のみ名によって祈ります。アーメン。