モーセはこの箇所を書きながら、思わず笑みを浮かべていたのではないでしょうか。特に、ヘブル人の助産婦シフラとプアの話です。
エジプトで最も権威のある者、パロは、その二人にヘブル人の男の子を殺すよう命じました。
けれども、この助産婦たちがその命令に従わなかったと聞いたとき、パロは彼女たちを呼び寄せました。
そして言いました。「どうして、私の命令に従わなかったのか。」
そして、その二人は真剣な顔で答えました。「ヘブル人の女はエジプト人の女と違って活力があるので、助産婦が行く前にすでに産んでしまうのです。」
私はその場面を思い描くことができます。パロはこれを聞いて、「ああ、なるほど。知らなかった。初めてそんなことを聞いた。活力なのか。なるほど。」と言ったかもしれません。
どうして、この二人はパロに敵対する勇気があったのか。その二人は神様をパロより恐れていたからです。
17節にこう書いてあります。
しかし、助産婦たちは神を恐れ、エジプトの王が命じた通りにはせず男の子を生かしておきました。
そして、神様はその二人を祝福してくださったのです。
20-21節によれば、
神はこの助産婦たちに良くしてくださった。それで、イスラエルの民は増え、非常に強くなった。助産婦たちは神を恐れたので、神は彼女たちの家を栄えさせた。
あなたは誰を恐れていますか。あなたにとって、一番尊敬する人は誰ですか。神様でしょうか。それとも、別の人でしょうか。
時々、私たちは人々の反応を恐れるので、神様との関係に影響を及ぼします。
私の友だちはずっとバプテスマを受けるのを伸ばしていました。なぜなら、彼女のご両親の反応を恐れていたからです。
もう一人の友だちはクリスチャンになることをずっと伸ばしていました。なぜなら、ご主人の反応を恐れていたからです。
しかし、その二人が神様を、ご主人やご両親以上にうやまったなら、神様は彼女たちを祝福してくださるでしょう。
もし、神様を他の人々より恐れたら、トラブルが全然起こらないと言っているのではありません。
その選択をして、ある人はあなたに対して怒るかもしれません。
ある友だちは、仕事よりも神様を大切にしたため、同僚が本当に怒りました。もっと残業をしてほしいと言われましたが、彼は拒みました。神様が彼に別の働きを命じておられたからです。
結局、彼はその会社をやめました。けれども、神様はその選択を喜ばれると思います。
神様はイザヤに言われました。
まことに主は強い御手を持って私を捕らえ、私にこう仰せられた。この民の道に歩まないよう、私を戒めて仰せられた。
「この民の恐れるものを恐れるな。おののく な。万軍の主、この方を、聖なる方とし、この方を、あなた方のおののきとせよ。そうすれば、この方が聖所となられる。」(イザヤ8:11ー14)
神様はあなたにとって聖所となられます。状態が辛くて、皆があなたに反対するときに、主に走ることができます。
しかし、神様は私たちに注意されます。「この世の道を歩んではなりません。」
むしろ、私たちは神様を恐れて、従うべきです。
そうすれば、神様はその助産婦を祝福してくださったように、あなたも祝福してくださいます。
あなたは誰を恐れているのでしょうか。
