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マタイの福音書 マタイ10章

人々を分かつ剣

イエス様が迫害について話をまとめられた言葉を聞くと、違和感を覚えるかもしれません。

わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。

なぜなら、わたしは人をその父に、娘をその母に、嫁をそのしゅうとめに逆らわせるために来たからです。さらに、家族の者がその人の敵となります。(マタイの福音書10:34-36)

イエス様は「平和の君」と呼ばれます。

なぜイエス様は「平和をもたらすためではなく、剣をもたらすために来た」と言われたのでしょうか。また、なぜイエス様は「剣のように家族を分かつ」と言われたのでしょうか。

もちろん、イエス様は平和の君です。そして、イエス様がこの世に再び戻り、すべてを治められるとき、真の平和が訪れるでしょう。とはいえ、その時はまだ来ていません。

だからこそ、イエス様は警告を繰り返されます。「もしあなたがイエス様に従うなら、あなたの家族でさえもあなたを拒絶するかもしれません。」

日本でも、私はそのような状況を目の当たりにしたことがあります。ある女性は本当に苦しんでいました。なぜなら、そのお父さんに「もしクリスチャンになりたいなら、この家から出て行け。お前はもう俺の娘ではない」と言われたからです。

イエス様に従うことで、家族間の争いが生じることもあります。その時、私たちはどうすれば良いのでしょうか。

信仰を保ちながら、その信仰を隠すべきでしょうか。一部の人はそのようにしましたが、嘘が発覚すると、状況はさらに悪化しました。その上で、イエス様は次のように言われました。

ですから、わたしを人の前で認める者はみな、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます。

しかし、人の前でわたしを知らないと言うような者なら、わたしも天におられるわたしの父の前で、そんな者は知らないと言います。(32-33)

もし、あなたが愛している人たちの前でイエス様を否定するなら、あなたは本当にイエス様を愛し、イエス様に従っていると言えるでしょうか。

もし一生を通じてイエス様を否定し続けるなら、果たして自分自身がクリスチャンだと胸を張って言えるでしょうか。

もちろん、私たちが弱さを抱える時もあります。ペテロにも弱さがありました。彼はその弱さから、イエス様を三度も否定してしまいました。

けれども、最終的にペテロは自分の信仰のために十字架につけられて命を捧げました。

イエス様は次のように言われました。

わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。

自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。

自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。(37-39)

要するに、あなたにとってイエス様は何よりも大切な存在であるべきです。たとえどんなに苦しみを経験しても、イエス様をすべてのものよりも優先しなければなりません。

もし家族の平和を守るためにイエス様を否定するなら、最終的にその家族は地獄に行くことになるでしょう。

しかし、キリストのためにその家族の平和を手放すなら、もしかすると、いつの日か彼らがイエス様に従うようになるかもしれません。

この教えを実践することは簡単ではありません。

けれども、覚えておいてください。もし家族があなたを拒絶するとしても、あなたにはもう一つの家族があります。あなたが苦しむとき、その家族はあなたを愛し、支えてくれるでしょう。なぜなら、教会はただの建物ではなく、神の家族そのものだからです。

だからこそ、家族の平和を守るためにあなたの信仰を否定してはいけません。そしてイエス様を否定しないでください。むしろ、イエス様を他の何よりも優先しましょう。そうすれば、本当の平和を見つけることができます。