私が大嫌いなことの一つは、運転中に突然私の車線に割り込む人がいることです。そのせいで、私は急ブレーキをかけざるを得なくなります。最悪の場合、すぐに別の車線へ移らなければなりません。
今日の箇所で、パウロはこのような例えを用いて語ります。
ガラテヤ人たちはクリスチャンのレースの中で、ゴールを目指し、恵みによって走っていました。
ところが、突然、ユダヤ人のクリスチャンたちが割り込み、ガラテヤ人たちがそのゴールに到達することを妨げました。さらに、ガラテヤ人たちは恵みの道から逸れ、律法の道を走り始めてしまったのです。
だから、パウロはガラテヤ人たちにこう語りました。
あなたがたはよく走っていたのに、だれがあなたがたの邪魔をして、真理に従わないようにさせたのですか。
そのような説得は、あなたがたを召された方から出たものではありません。(ガラテヤ人への手紙5:7-8)
要するに、「あなたたちはよく走っていたのに、なぜ恵みの道を逸れ、律法の道を走り始めたのですか?それはイエス様の導きではありません。イエス様は、あなたたちがイエス様への信仰によって恵みの道を走るように招かれたのです。」
そして、パウロはこう語りました。
わずかなパン種が、こねた粉全体をふくらませるのです。(9)
この箇所の伝統的な解説では、ガラテヤ人たちが注意しなければ、ユダヤ人クリスチャンたちの教えがすぐに教会に浸透してしまう危険性があるとされています。
けれども、もう一つの応用が考えられます。
もし私たちが「神様に受け入れていただくためには律法を守らなければならない」という教えの種を受け入れるならば、結局その考え方は私たちの思考や生き方を支配してしまいます。
その結果、私たちは「神様の愛に値しないにもかかわらず、神様に受け入れていただいている」という喜びを失ってしまうのです。
むしろ、私たちは律法を完全に守ることができないと気づき、落胆してしまいます。または、律法を守れていると思うことで、プライドを持ち始めてしまいます。
ガラテヤ人の問題は、『スター・ウォーズ』のヨーダの言葉を連想させます。 「もし暗い道を歩き始めると、その道はあなたの運命を支配します。その道はあなたを食い尽くしてしまいます。」
結局、ヨーダの言葉は完全に正しかったわけではありません。アナキン・スカイウォーカーは最終的にその道から脱出しました。しかし、その前に、彼は自らの人生をめちゃくちゃにしてしまいました。
だから、パウロはガラテヤ人たちに警告しました。 「割礼を受けるな。それを受ければ、律法に従う義務はそれだけでは終わりません。むしろ、あなたはすべての律法を守らなければならなくなるのです。
毎日毎日、一瞬一瞬、その律法を完全に守っているかどうかを気にしなければならなくなります。そして、その恐れがあなたの思いを支配し、神様があなたのために望まれた自由と喜びを失ってしまうのです。」
あなたは最終的にその道を抜け出せるかもしれません。しかし、その日が来るまで、あなたのクリスチャン生活は混乱してしまうでしょう。
さらに、律法主義の生き方によって、あなたは周りの人々を裁き始め、彼らの人生も混乱させてしまうかもしれません。
あなたはどうでしょうか。毎日、神様の恵みによって歩んでいるでしょうか。もしかすると、プライドによって歩んでいるかもしれません。または、神様の裁きを感じ、常に罪悪感を抱いているでしょうか。
ほかの人があなたの歩みを妨げることを許さないでください。
神様があなたをご自身の子供として受け入れてくださったことを覚えていてください。そのことを忘れずにいるならば、神様の計画のもとで、あなたは神様の子供として自由と喜びを知ることができるのです。
