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創世記のデボーション

祝福されている

アブラムに祝福あれ。 いと高き神、天と地を造られた方より。いと高き神に誉れあれ。 あなたの敵をあなたの手に渡された方に。(創世記14:19ー20)

前回の記事でも言いましたが、クリスチャンとして、私たちはアブラハムの霊的な子孫であり、神様の祝福を受け継ぐ者です。(ガラテヤ3:8–9)

上記の聖句を読んだとき、私はその真理をさらに反芻しました。

メルキゼデクの祝福を読むとき、神の祝福を受け継ぐ者として、自分の名前を入れてみましょう。

「<自分の名前>に祝福あれ。いと高き神、天と地を造られた方より。」

私たちはさまざまな意味で祝福されています。神様は私たちに多くの霊的な祝福を与えてくださいました。(エペソ1:3–14)

さらに、イエス様によって、私たちは最後の敵に対する最終的な勝利を得ました。つまり、イエス様が死を克服し、私たちに永遠の命を与えてくださったということです。(第一コリント15:26、50–57)

しかし、最も驚くべきことは、創造者である神が、そのように祝福するほどに、私たちを愛しておられるということです。

少し静かになって、その真理を思い巡らしましょう。その素晴らしい真理に心を向けましょう。

そして、ダビデとともに歌いましょう。

あなたの指のわざである、あなたの天、あなたが整えられた月や星を見るに人とは何ものなのでしょう。

あなたが心に留められるとは。人の子とはいったい何ものなのでしょう。あなたが顧みてくださるとは。

あなたは、人を御使いより、わずかに欠けがあるものとし、これに栄光と誉れの冠をかぶらせてくださいました。(詩篇8:3ー5)

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詩篇

創造者とその被造物

ダビデがこの詩篇を書いたかどうか分かりませんが、詩篇103篇のように、詩人はこう歌い始めます。

わがたましいよ。主をほめたたえよ。(詩篇104:1)

けれども、103篇と違って、主の愛と憐れみのためではなく、神様の被造物のために詩人は神様に感謝します。彼は被造物を見る時、神様の素晴らしさを驚き、歌います。

わが神、主よ。あなたはまことに偉大な方。あなたは尊厳と威光を身にまとっておられます。

あなたは光を衣のように着[る](詩篇104:1-2)

それを読むとき、私はヨハネの言葉を思い浮かべます。

神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。(第一ヨハネ1:5)

要するに、神様は聖なる方です。だから、光を見ると、私たちは神様の栄光と聖さを垣間見ることができます。

そして、詩人は星空に感心します。神様は、天を幕のように広げておられます。そして、雲は神様の車です。

詩人がこの詩篇を書いたとき、彼は風と稲妻を神様の使いと召使いと呼びました。それらは神様の栄光を宣言し、神様の目的を果たします。

しかし、ヘブル人への手紙の著者はこの箇所を天使に当てはめました。彼が言ったのは、イエス様が神様のひとり子ですが、稲妻と風のように天使はただの召使いということです。

そして、詩人は創世記1章について話します。つまり、神様は土地を造り、植物や動物を造られました。また、神様は日や月や季節を造られました。また、神様は動物にエサを与えられます。そして、神様はすべての物に命を与えてくださいます。

だから、詩人はその被造物のために神様をほめたたえました。

主よ。あなたのみわざはなんと多いことでしょう。あなたは、それらをみな、知恵をもって造っておられます。地はあなたの造られたもので満ちています。

そこには大きく、広く広がる海があり、その中で、はうものは数知れず、大小の生き物もいます。(詩篇104:24-25)

主の栄光が、とこしえにありますように。主がそのみわざを喜ばれますように。

主が地に目を注がれると、地は震え、山々に触れられると、山々は煙を上げます。(31-32)

そして、詩人はこの歌をまとめて歌います。

私は生きているかぎり、主に歌い、いのちのあるかぎり、私の神にほめ歌を歌いましょう。

私の心の思いが神のみこころにかないますように。私自身は、主を喜びましょう。(33-34)

それは最も大切な教訓です。神様が私たちの創造者なので、神様は私たちの賛美に値する方です。だから、私たちは毎日、私たちの言葉や思い、行動で神様を礼拝しましょう。

なぜなら、神様を私たちの創造主として認めない人は裁かれて滅びるからです。(35a)

だから詩人は歌います。

わがたましいよ。主をほめたたえよ。ハレルヤ。(35b)