詩篇121篇は本当に美しい詩篇です。私の父が生前、この詩篇が大好きだったので、彼が亡くなった時、葬式でこの詩篇が読まれました。
この詩篇では、詩人は主に対する信頼を言い表しています。彼は歌います。
私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。
私の助けは、天地を造られた主から来る。(詩篇121:1-2)
120篇のように、これは都上りの歌です。人々はエルサレムに巡礼するときにこの歌を歌いました。
だから、彼らが目を上げてエルサレムを見るとき、心の中で喜びが湧いてきたことが想像できます。なぜなら、神様がソロモン王に約束したように、神様の臨在は主の宮にあったからです。(列王記9:4)
もちろん、主の宮は神様をお入れすることはできませんでした。ソロモンもそのことを認めました。
でも神様は、宮に来てイスラエル人に会うように約束してくださいました。また、彼らが宮に向かい、祈るとき、神様はその祈りに答えるように約束してくださいました。
だから、人々がエルサレムに巡礼したとき、決して眠らない神様が彼らを見守ってくださることを思い出して、慰められました。
暑い日には、神様は彼らの陰でした。また夜には、神様は彼らを守ってくださいました。
それだけでなく、彼らの人生を送る間に、神様が彼らと共におられることを思い出していました。
だから、詩人はこう歌いました。
主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。
主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。(7-8)
私たちもその言葉によって慰められましょう。何が起きても、神様はあなたを「耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。」(第一コリント10:13)
私たちがこの世界に生きる間に、神様は私たちを見守ってくださいます。そして、私たちを栄光に導いてくださるのです。
